31年ぶりの勝利(1986年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「31年ぶりの勝利(1986年)」の解説
この時期、ダイムラー・ベンツが確保した予算はエンジン開発の分だけであり、予算不足に苦しむザウバーに新型車両を用意する余裕はなく、前年不具合を起こしたC8を改修して1986年のレースに挑むことになった。 そんな折、元BMWのモータースポーツ部門の責任者で、当時はIMGにいたヨッヘン・ニアパッシュが、ザウバーの窮状を助けるため、ザウバーにイヴ・サン=ローランを紹介した。同社は、化粧品ブランドの「クーロス(英語版)」をPRするため、シリーズ戦であるスポーツカー世界選手権の中でもヨーロッパの数戦でレースのスポンサーを務める予定だったことから、ザウバーのスポンサーとなることにも前向きで、ザウバーがル・マンだけではなく同選手権の数戦にも出場することを条件として契約はほどなくまとまった。 こうして1986年の選手権に挑んだが、その場しのぎの改良ではC8の根本的な遅さはどうにもならなかった。ル・マン直前のシルバーストン戦では、ラップタイムが1分10秒台の同サーキットで、予選時に過給圧を高め700馬力まで出力を増大させたC8は、自然吸気エンジンを搭載して出力は650馬力に過ぎないジャガー・XJR-6にラップタイムで4秒も離されてしまい、シャシーの性能の低さを露呈することになる。 5月末のル・マン24時間レースでは、前年のような不具合こそ起きなくなったものの、予選のラップタイムはポールポジションのポルシェ・962Cから10秒以上も遅く、20秒以上離されていた前年よりはかなり短縮したとはいえ、全く勝負にならなかった。このレースで、メルセデス・ベンツエンジン搭載車両としては、1950年代以来初めて、ル・マン24時間レースの決勝レースを走行したが、出走した2台ともレース半ばでミッションとエンジンを壊してリタイアとなる。 ニュルブルクリンク1000㎞ ル・マンで惨敗したザウバーは、8月のニュルブルクリンク1000km(英語版)を目標に定め、それ以前のレースは全て棄権し、C8の改良を敢行した。クーロスの援助を得たとはいえ予算が少ないことに変わりはないため、改良する箇所を車体底部(フロア)とリアウィングに絞り、ダウンフォースの増強に努めた。その間、ダイムラー・ベンツもM117HLエンジンの改良を進め、過給圧を見直すとともに、ターボチャージャーのタービンを変更することでスロットルレスポンスと燃費を大幅に改善し、燃費を考慮した決勝でも680馬力を出力可能とした。 8月のニュルブルクリンク1000㎞は悪天候のレースとなり、ドライバーのマイク・サックウェルが改良されたC8を駆ってポルシェワークスチームの962Cをオーバーテイクする奮闘を見せ、クラッシュと悪天候を理由に962Cを擁する各チームが棄権したこともあって、ザウバー・メルセデスは初優勝を遂げた。ダイムラー・ベンツにとっては、スポーツカーレースでは1955年以来31年ぶり、北コースとGPコースという違いはあるが、ニュルブルクリンクでは1954年ドイツグランプリ以来32年ぶりとなる勝利だった。
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