アーチー・スコット=ブラウンとは? わかりやすく解説

アーチー・スコット-ブラウン(イギリス)

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

アーチー・スコット=ブラウン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:20 UTC 版)

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アーチー・スコット=ブラウン
基本情報
国籍 イギリス
スコットランド
F1での経歴
活動時期 1956
所属チーム コンノート
出走回数 1
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1956年イギリスGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1956年イギリスGP
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アーチー・スコット=ブラウン(William Archibald Scott-Brown、1927年5月13日 - 1958年5月19日、満31歳没)はイギリススコットランド)のレーシングドライバーである。

人物紹介

右腕が無いというハンディを抱えていたが、リスターのドライバーとして主にスポーツカー・レースで成功を収め「隻腕の名手」として知られた。そのドライビングスタイルは、非常に豪快だったという。

生涯・経歴

母の妊娠中の風疹により、右腕は生まれつき無く、また右足にも障害を抱えていた。父はその障害を少しでも軽減させようと、自作の小さな車椅子を幼いアーチーに贈り、そのことがレースに興味を持つきっかけとなった。

1951年、僅かな遺産で購入したMGロードスターを使用し、レースキャリアをスタート。名が知られるようになった頃には、既にリスターとの関係が出来ていた。最終的に、生涯71勝を挙げているが、このうち15勝は国際舞台でのものだった。

また1956年には、コンノートから第6戦イギリスGPにてF1にスポット参戦(予選10位、決勝リタイア)。最終戦イタリアGPへの参戦も企図したが、その障害を理由に許可が下りず、結局F1参戦は1度に留まった。

事故死

1958年5月18日ベルギースパ・フランコルシャンで行われたグランプリ・オートモビル・デ・スパ決勝において、高速コーナーでコースを飛び出し、樹木に激突。この際頭部に致命傷を負い、またマシンからの出火で火傷も負ってしまう。

5月19日、病院で死去。31歳の誕生日を迎えてから、1週間も経っていなかった。

F1での年度別成績

(key)

所属チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 WDC ポイント
1956年 コンノート B アルタ GP 2.5 L4 ARG MON 500 BEL FRA GBR
Ret
GER ITA NC 0

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