アーチー・スコット-ブラウン(イギリス)
アーチー・スコットブラウンは先天的な身体障害者であった。右腕は手首までで終わり、右脚は義足であった。父親はアルビスの販売店を経営、ブルックランズでクルマを走らせたこともあった。彼はモーガンの3輪車からスタート。MG-TCでレースを始め、やがて友人のブライアン・リスターが製作するクルマに乗るようになり、国内レースで数多くの優勝を経験した。1955年の大英帝国トロフィーには55~56年と2連勝している。彼はリスターのスポーツカーを中心に走ったが、コノートでノンチャンピオンシップのF1も走り、優勝も経験した。リスター・ジャガーでニュージーランドやアメリカも走った。58年の雨のスパ・フランコルシャンのスポーツカー・レースで、彼はコースを飛び出して立ち樹に激突、クルマが火災を起こし、脱出できずに死亡した。
アーチー・スコット=ブラウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:20 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アーチー・スコット=ブラウン | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() ![]() |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1956 |
所属チーム | コンノート |
出走回数 | 1 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1956年イギリスGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1956年イギリスGP |
アーチー・スコット=ブラウン(William Archibald Scott-Brown、1927年5月13日 - 1958年5月19日、満31歳没)はイギリス(スコットランド)のレーシングドライバーである。
人物紹介
右腕が無いというハンディを抱えていたが、リスターのドライバーとして主にスポーツカー・レースで成功を収め「隻腕の名手」として知られた。そのドライビングスタイルは、非常に豪快だったという。
生涯・経歴
母の妊娠中の風疹により、右腕は生まれつき無く、また右足にも障害を抱えていた。父はその障害を少しでも軽減させようと、自作の小さな車椅子を幼いアーチーに贈り、そのことがレースに興味を持つきっかけとなった。
1951年、僅かな遺産で購入したMGロードスターを使用し、レースキャリアをスタート。名が知られるようになった頃には、既にリスターとの関係が出来ていた。最終的に、生涯71勝を挙げているが、このうち15勝は国際舞台でのものだった。
また1956年には、コンノートから第6戦イギリスGPにてF1にスポット参戦(予選10位、決勝リタイア)。最終戦イタリアGPへの参戦も企図したが、その障害を理由に許可が下りず、結局F1参戦は1度に留まった。
事故死
1958年5月18日、ベルギーのスパ・フランコルシャンで行われたグランプリ・オートモビル・デ・スパ決勝において、高速コーナーでコースを飛び出し、樹木に激突。この際頭部に致命傷を負い、またマシンからの出火で火傷も負ってしまう。
翌5月19日、病院で死去。31歳の誕生日を迎えてから、1週間も経っていなかった。
F1での年度別成績
(key)
年 | 所属チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | WDC | ポイント |
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1956年 | コンノート | B | アルタ GP 2.5 L4 | ARG | MON | 500 | BEL | FRA | GBR Ret |
GER | ITA | NC | 0 |
関連項目
固有名詞の分類
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