国内レース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:04 UTC 版)
また、当時日本国内のモータースポーツのトップカテゴリーだった、全日本F3000選手権や全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC)・全日本ツーリングカー選手権 (JTC) 等には、サントリーや日本たばこ、ミノルタ、ワコールなどの大手企業から、CHERENA、三和都市開発、VIPバケーションなど、不動産取引で大金を手にした不動産業者をはじめとする中小企業、さらに武富士、プロミス、アコムなどの消費者金融業者まで、多くの企業がスポンサーに名乗りを上げ、豊富な資金を得たことを背景に、1990年の全日本F3000選手権には、40台近くがエントリーするなど空前の参戦台数を記録した。 さらに、不動産投機を目的としたリゾート開発の過熱とあわせて、国内におけるサーキットの建設計画が多数立ち上がり、この時期に建設されたサーキットにはオートポリス、TIサーキット英田、十勝インターナショナルスピードウェイなどがあるが、上記の3つともにバブル崩壊後に運営法人が破産した。
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