1955年の近代化計画
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「イギリス国鉄」の記事における「1955年の近代化計画」の解説
イギリス国内の鉄道は既に第二次世界大戦開戦の時点で他国に遅れを取り、戦後数年のうちに技術格差はさらに拡大した。路線の復旧工事も進捗が遅く、インフラの荒廃は深刻化していた。1954年にイギリス運輸委員会は近代化計画「Modernisation and Re-equipment of British Railways」を発表し、この計画に15年間で12億4千万ポンドを投じることを決定した。1956年の政府の白書は、近代化の効果で1962年にはイギリス国鉄の赤字解消が見込まれるとした。 この目的は速度、信頼性、安全性の向上および線路容量の増加により旅客・貨物輸送をより一層魅力的なものとし、道路に奪われた輸送シェアを回復するものであった。計画の主要な内容として、 東部地域、ケント、バーミンガムおよびスコットランド中心部の主要幹線電化 蒸気機関車廃止による無煙化 新しい客車・貨車の製造 大規模な貨車操車場の設置 信号・線路の設備更新 などが挙げられる。 ウェスト・コースト本線(西海岸本線)は1958年から74年にかけてフランス式の交流25キロボルト50ヘルツ・架空電車線方式で電化され、ロンドン以北の電化方式の標準となった。なお、国鉄はその10年前に2種類の直流1500ボルト架空電車線方式に多額の投資をしていた。ロンドンとグラスゴーの周辺の多くの通勤路線もまた電化され、また南部地域は戦前以来の750ボルト第三軌条方式による電化区間をケントからドーセット沿岸部に拡大した。電化は他の多くのヨーロッパ諸国の鉄道とは異なり、全国には及ばなかった。 新型のディーゼル機関車、電車・気動車を投入し、蒸気機関車を全機代替する方針に転換した。1950年代末より旧私鉄設計の機関車が順次廃車され、1960年代前半にはまだ車齢10年以内の国鉄型も置き換え対象となった。国有化以前の客車も、国鉄型客車の増備に伴い1960年代末に大半が廃車された。1963年に本線へディーゼル機関車が大量に導入され、貨物列車では先んじて1950年代後半から1960年代末に全廃、旅客列車からは1966年前半のWRでの廃止を皮切りに、最後に残ったLMR北部でも1968年8月に全廃となった。唯一の例外がウェールズのアベリストウィスにある軽便鉄道、ライドル渓谷鉄道(英語版)で、1989年の売却まで国鉄が蒸気機関車を運行した。 鉄道開業以来存在した全駅での貨物取扱義務が撤廃され、貨物設備への投資費用と人件費の削減に繋がった。また、速度の遅い貨物列車の減少で線路容量に余裕が生まれた。その一方で貨物輸送の自動車への転移が考慮されず、時代にそぐわない大規模な貨車操車場の建設や貨車の製造に多額の資金が費やされた。貨物用ディーゼル機関車も十分な開発期間を取らないまま性急に導入を進めた結果故障が頻発し、多くが製造後短期間で廃車となった。近代化計画の失敗は国鉄の民営化まで禍根を残し、財務省による国鉄の財務計画能力への不信感をもたらした。 1960年代前半より、線路上の作業員の安全を図るため、全てのディーゼル・電気機関車および電車・気動車の前面に黄色の警戒色が配された。
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