1955年の近代化計画とは? わかりやすく解説

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1955年の近代化計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:23 UTC 版)

イギリス国鉄」の記事における「1955年の近代化計画」の解説

イギリス国内鉄道は既に第二次世界大戦開戦時点他国に遅れを取り戦後数年のうちに技術格差はさらに拡大した路線復旧工事進捗遅くインフラ荒廃深刻化していた。1954年イギリス運輸委員会近代化計画「Modernisation and Re-equipment of British Railways」を発表し、この計画15年間で12億4千万ポンド投じることを決定した1956年政府白書は、近代化効果1962年にはイギリス国鉄赤字解消見込まれるとした。 この目的速度信頼性安全性の向上および線路容量の増加により旅客・貨物輸送より一層魅力的なものとし、道路奪われ輸送シェア回復するものであった計画主要な内容として、 東部地域ケントバーミンガムおよびスコットランド中心部主要幹線電化 蒸気機関車廃止による無煙化 新し客車貨車製造 大規模な貨車操車場設置 信号線路設備更新 などが挙げられるウェスト・コースト本線西海岸本線)は1958年から74年にかけてフランス式交流25キロボルト50ヘルツ架空電車線方式電化され、ロンドン以北電化方式標準となった。なお、国鉄はその10年前2種類直流1500ボルト架空電車線方式多額投資をしていた。ロンドングラスゴー周辺多く通勤路線もまた電化され、また南部地域戦前以来750ボルト第三軌条方式による電化区間ケントからドーセット沿岸部拡大した電化は他の多くヨーロッパ諸国鉄道とは異なり全国には及ばなかった。 新型ディーゼル機関車電車・気動車投入し蒸気機関車全機代替する方針転換した1950年代末より旧私鉄設計機関車順次廃車され、1960年代前半にはまだ車齢10年以内国鉄型も置き換え対象となった国有化以前客車も、国鉄客車増備に伴い1960年代末に大半廃車された。1963年本線ディーゼル機関車大量に導入され貨物列車では先んじて1950年代後半から1960年代末に全廃旅客列車からは1966年前半WRでの廃止皮切りに最後に残ったLMR北部でも1968年8月全廃となった唯一の例外ウェールズアベリストウィスにある軽便鉄道ライドル渓谷鉄道英語版)で、1989年売却まで国鉄蒸気機関車運行した鉄道開業以来存在した全駅での貨物取扱義務撤廃され貨物設備への投資費用人件費削減繋がったまた、速度の遅い貨物列車減少線路容量余裕生まれた。その一方で貨物輸送自動車への転移考慮されず、時代そぐわない大規模な貨車操車場建設貨車製造多額資金費やされた。貨物用ディーゼル機関車十分な開発期間取らないまま性急に導入進めた結果故障頻発し多く製造後短期間廃車となった近代化計画失敗国鉄民営化まで禍根残し財務省による国鉄財務計画能力への不信感もたらした1960年代前半より、線路上の作業員の安全を図るため、全てのディーゼル電気機関車および電車気動車前面黄色警戒色配された。

※この「1955年の近代化計画」の解説は、「イギリス国鉄」の解説の一部です。
「1955年の近代化計画」を含む「イギリス国鉄」の記事については、「イギリス国鉄」の概要を参照ください。

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