1955年から1979年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:31 UTC 版)
「ホンジュラスの歴史」の記事における「1955年から1979年まで」の解説
1954年のゼネストの後、改革派に属する青年軍部は1955年10月にクーデターを起こし、臨時フンタを設立した。そして、死刑が1956年に廃止された(死刑執行は1940年以降停止された)。1957年ホンジュラス制憲議会選挙(英語版)と1957年ホンジュラス大統領選挙(英語版)で自由党のラモン・ビリェダ・モラーレス(英語版)が大統領に選出され、制憲議会はそのまま任期6年の国会になった。これにより自由党は1957年から1963年まで政権をとった。新しく設立された軍事アカデミーが1960年以降卒業生を出すようになると、軍は政治から独立した専業組織としてふるまうようになった。1963年10月、保守派軍部は1963年ホンジュラス総選挙(英語版)に先じて流血クーデターをおこし、モラーレスが失脚した。軍部は自由党員を追放、オスワルド・ロペス・アレリャノ(英語版)将軍の下で1971年まで統治した。 1969年7月、エルサルバドルがサッカー戦争でホンジュラスに侵攻、停戦後も緊張が続いた。 国民党のラモン・エルネスト・クルス・ウクレス(英語版)が1971年に短期間政権をとったが、ロペスが1972年12月に再びクーデターを仕掛けて権力を奪取した。再び政権をとったロペスは農地改革を含む進歩的な政策を推進した。 ロペスが1975年に退任した後はフアン・アルベルト・メルガル・カストロ(英語版)将軍(1975年 - 1978年)、ポリカルポ・パス・ガルシア(英語版)将軍(1978年 - 1982年)の2人が大統領に就任した。2人は軍、特に隣国に優位なホンジュラス空軍の現代化を進め、また電力、地上波などのインフラを整備した。この時期はホンジュラスの産物の需要が世界的に増大し、ホンジュラスでは経済が発展して、外国資本が進出してきた。 1980年4月に制憲議会選挙(英語版)が行われ、続いて1981年ホンジュラス総選挙(英語版)が行われた。新憲法(スペイン語版)は1982年に議決され、自由党のロベルト・スアソ・コルドバ(英語版)が大統領に就任した。
※この「1955年から1979年まで」の解説は、「ホンジュラスの歴史」の解説の一部です。
「1955年から1979年まで」を含む「ホンジュラスの歴史」の記事については、「ホンジュラスの歴史」の概要を参照ください。
- 1955年から1979年までのページへのリンク