1955年から1974年まで
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「北朝鮮核問題の年表」の記事における「1955年から1974年まで」の解説
1955年:金日成が核物理学研究所を設置して、南朝鮮革命論を主張して在韓米軍撤退のために核開発を開始。 1956年:米国極東海軍司令官で朝鮮戦争停戦協定の上級国連代表部あったC・ターナー・ジョイが北朝鮮や中国など共産主義国家による交渉手法を解説した「共産主義者の交渉手法(How Communists Negotiate)」を出版。 1962年:寧辺核施設を開設。 1965年:金日成が核兵器開発に公式に言及。ウラン235を大量採掘したと宣伝開始。寧辺IRT-2000の研究用原子炉が2MWの電力定格に達する。 1968年1月21日 - 朴大統領の暗殺を狙った襲撃(青瓦台襲撃未遂事件)。 10月30日-11月3日:北朝鮮の武装工作員が韓国に密入国して、韓国人殺害(蔚珍・三陟武装共匪浸透事件)。 1974年:寧辺IRT-2000の研究用原子炉が2MWの電力定格に達する。
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