高山外国人避暑地
(高山外人部落 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/15 08:30 UTC 版)
高山外国人避暑地(たかやまがいこくじんひしょち)、または、高山国際村(たかやまこくさいむら)は、宮城県宮城郡七ヶ浜町花渕浜字高山にある太平洋に面した外国人専用避暑地である。戦前は「高山外人部落」とも呼ばれた[1][2]。
注釈
- ^ ポルトガル人宣教師のディエゴ・カルヴァリョ神父など(西公園 (仙台市)#歴史参照)。
- ^ 慶長遣欧使節団のサン・ファン・バウティスタ号に同乗したルイス・ソテロやセバスティアン・ビスカイノなど。
- ^ 1878年(明治11年)に東北地方の日本海側を旅行したイザベラ・バードなど。
- ^ 1881年(明治14年)6月に東北巡回布教をしたニコライ・カサートキンなど(石巻ハリストス正教会参照)。
- ^ 専門は眼科
- ^ 1891年に東北学院第2代院長に就任
- ^ 仙台市および周辺には、苦竹の東京第一陸軍造兵廠仙台製造所跡地にキャンプシンメルフェニヒ、榴ヶ岡の歩兵第4連隊跡地にキャンプファウラー、仙台城二の丸周辺にキャンプセンダイ、霞目の仙台飛行場にレニアフィールド、多賀城海軍工廠跡地にキャンプローパーなどの進駐軍キャンプ地が設置された。
- ^ 2010年の国勢調査人口56,271人
出典
- ^ a b c d 学院史編纂室便り No.16(関西学院学院史編纂室 2002年11月20日)
- ^ 写真集明治大正昭和塩釜・松島 : ふるさとの想い出122(国書刊行会 1980年7月発行)
- ^ a b c d 上田卓爾「第二次世界大戦以前の日本のリゾート(外人避暑地)について」『名古屋外国語大学現代国際学部紀要』第5号、2009年3月、89-127頁、NAID 120005289295。
- ^ 大澤輝嘉「慶應義塾史跡めぐり(第38回)避暑地軽井沢とA.C.ショー」『三田評論』8.9月合併号38回、慶應義塾、2009年8月、58-61頁、ISSN 1343618X、NAID 40016777857。
- ^ 特別名勝松島保存管理計画 (PDF) (宮城県 教育委員会 2010年3月)
- ^ 宮城県の自然公園・県自然環境保全地域(宮城県)
- ^ a b 東北の寄り道「高山外国人避暑地」 (PDF) (東北防衛局広報紙「東北のかなめ」第4号 2008年7月24日発行)
- ^ a b c d 「少年放浪記」 鈴木伊三郎 著
- ^ a b c 毛糸で結ばれた心の絆をつなぎ続けよう―宮城県七ヶ浜町に「ヤーン・アライブ・ハウス」完成(Yahoo!ニュース 2015年8月4日)
- ^ 避暑地としての軽井沢の誕生(軽井沢観光協会)
- ^ 岡村勝司「野尻湖周辺の別荘地開発にみる環境管理システム」『環境科学年報』第17号、信州大学環境科学研究会、1995年9月、94-98頁、ISSN 0915-7492。
- ^ a b c 明治期の宣教師と仙台(学校法人尚絅学院「連載コラム FACE」 2005年1月1日)
- ^ a b 関西学院を創ったひとたち(関西学院)
- ^ 朝河の道」選定をめぐって (PDF) (朝河貫一博士顕彰協会会報 第18号 2008年7月16日)
- ^ a b 『七ヶ浜町誌』684-688頁。
- ^ a b c d 「『仙台市史』 通史編8 現代1」16頁~19頁
- ^ a b 姉妹都市プリマスの紹介と交流の歴史(七ヶ浜町)
- ^ a b c d e f 毛糸の絆を世界へ(七ヶ浜町)(宮城県復興応援ブログ「ココロプレス」 2014年4月9日)
- ^ a b 広報しちがはま vol.479 (PDF) (七ヶ浜町 2011年9月)
- ^ 佐藤智子「コミュニティ・プロジェクトの成功要因 : プリマス町の事例研究」『総合政策』第16巻第2号、岩手県立大学総合政策学会、2015年3月、125-138頁、ISSN 1344-6347、NAID 110009892676。
- ^ 米国女性 被災者に編み物指導(東京新聞 2011年6月27日)
- ^ a b c d 被災女性たちの編み物 世界の被災地へ(河北新報 2016年3月7日)
- ^ 伊坂さん原作の映画「重力ピエロ」トークショーのご案内(河北新報 2008年12月12日)
- ^ 9月16日放送『宮城県』(テレビ東京「空から日本を見てみよう」)
- 1 高山外国人避暑地とは
- 2 高山外国人避暑地の概要
- 3 歴史
- 4 施設
固有名詞の分類
- 高山外国人避暑地のページへのリンク