飯田 忠雄とは? わかりやすく解説

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飯田忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 18:10 UTC 版)

飯田 忠雄(いいだ ただお、1912年1月28日[1] - 2012年1月16日)は、日本政治家衆議院議員(2期、公明党)、参議院議員(1期)、神戸学院大学教授。俳人[1]

経歴

愛知県名古屋市出身[1]1939年京都帝国大学法学部[1]。同年満洲に渡り[1]総務庁協和会に勤める[1]1946年帰国し[1]、翌年運輸省に入る[1]内閣調査室に出向、海上保安庁に戻ってからは、海上保安大学校の首席教授[2]を最後に1969年に退職[3]神戸学院大学教授に就任した[3]

1974年兵庫県知事選公明党推薦で立候補するが落選、1976年の総選挙において兵庫3区から公明党公認で立候補して当選し[4]2期務める[3]。この間1977年4月18日の衆院法務委ロッキード事件の灰色高官を擁護する質問をした。1980年の総選挙で落選[4]するも1983年の参院選比例区から立候補して参院議員1期[3]1989年に政界から引退する[3]する。

同年4月の春の叙勲勲三等に叙され、旭日中綬章を受章した[5][1]

2012年1月16日老衰のため、死去した[6]。99歳没。死没日をもって従四位に叙された[7][8]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』26頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 244頁。
  3. ^ a b c d e 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』27頁。
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』518頁。
  5. ^ 『官報』号外第61号25頁 平成元年5月1日号
  6. ^ 飯田忠雄氏が死去 元参院議員 『日本経済新聞』2012年1月23日付2018年8月15日閲覧。
  7. ^ 叙位叙勲 『日本経済新聞』2012年2月10日付2022年12月13日閲覧。
  8. ^ 『官報』第5742号9頁 平成24年2月20日号

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 吉原公一郎著『謀略列島』新日本出版社1978年5月30日刊 105頁
議会
先代
伏見康治
参議院科学技術特別委員長 次代
高桑栄松



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