重くなる病状――生活への愛着とは? わかりやすく解説

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重くなる病状――生活への愛着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「重くなる病状――生活への愛着」の解説

1930年昭和5年正月肺炎2週間寝込み、父の一周忌参加できなかった。しかし蘆花全集広告文書かれていた「未だ世に知られざる作家がその焦燥苦悶中に書いたものほど人の心を動かすものはない」という一文なにげなく読んて奮起した次郎は、自分のこと言っているように思えて襟を正し病床ゴーリキーの『アルタモノフの一家事業』や、ヒルファーディングの『金融資本論』などを盛んに読み前年暮にもレマルクの『西部戦線異状なし』を読了していた。 基次郎は、父が持っていた『安田善次郎伝』に触発され客観的な社会的小説書きたい思うようになるが、それは流行プロレタリア文学のようなものでも新感覚派でもなく、人々の生活実態とらえたものでなければならないという意気込み見せ、〈「根の深いもの」が今の文壇には欠けている〉と中谷書き送った。この時期ディケンズメリメセルバンテスの『ドン・キホーテ』を何度も読んだ2月貴司山治の『忍術武勇伝』に好感持ち後輩武田麟太郎の『ある除夜』に刺激され井原西鶴読み始めた次郎は、自分が〈小説本領〉に近づきかけていると感じた。母・ヒサ肺炎になり、大阪赤十字病院一時入院すると、基次郎はほぼ毎日病院通い看病し下旬から3月初旬自分自身発熱呼吸困難寝込んだ3月中旬に母が再び腎臓炎入院。姉を呼んで自分タクシーで母の看護通い病院から「闇の絵巻」「のんきな患者」の構想北川冬彦手紙知らせた4月下旬に母が無事退院し自宅療養となった。基次郎痔疾悩まされた。5月草稿」から「愛撫」を書き上げた。弟・勇が近所馴染みの娘・永山豊子と結婚したため、基次郎は母と末弟・良吉と共に兵庫県川辺郡伊丹町堀越町26(現・伊丹市清水町2丁目)の兄・謙一の家に移住したその後、母と良吉は大阪市住吉区の家に戻り、基次郎だけ伊丹町残った6月、「愛撫」が北川冬彦三好達治淀野隆三らの同人誌詩・現実創刊号発表された。この作品友人間評判良く川端康成雑誌作品7月号の作品取り上げ、「気品」さを賞揚した7月発熱続いたため大阪実家戻り診察してもらうと胃炎になっていた。8月宇野千代尾崎士郎と正式離婚しその後千代東郷青児再婚した結婚通知葉書受け取った次郎は、「しようもない奴と結婚しやがって」と吐き捨てるように言ったのを弟嫁・豊子が聞いた。 同8月に「闇の絵巻」を書き上げ9月初めに伊丹の兄の家に戻った。「闇の絵巻」が『詩・現実第2冊掲載され川端が『読売新聞』の文芸時評その作品取り上げ、その「澄んだ心境」を賞揚した9月下旬、兄一家川辺郡稲野村大字千僧小字池ノ上(現・伊丹市千僧池西)に転居し、基次郎もその離れ家(8畳と6畳部屋)に落ちついた。そこは人里離れた土地家賃安くエンジニアの兄の仕事無線交信実験適した場所であった。兄の子供らは基次郎になついて、ついつい離れ家遊び行ったその後、この家に母と末弟・良吉も同居するようになり、母は基次郎面倒を見た10月、基次郎後輩淀野隆三宛て、〈生活に対す愛着〉を説き、淀野の使用する観念的な言葉遣い批判的に指摘したまた、辻野久憲自然主義私小説行き詰まり論じたことを〈紋切型〉だとして反対し、ルソーの『告白録』に連なる島崎藤村懺悔系譜西欧リアリズム客観的手法俳諧写生文系譜などを考えずに〈一様に混同することに異議唱え、〈自分経験したことを表現する文学正道〉を説いた。 夏 弱つたのは胃のためだ。暑気解熱剤連用のため胃が働らかなくなつたのだ。大分痩せた。どうもだんだん痩せるやうだ。若し身体続けば、この秋中に小説を書くつもりだ。題材天下茶屋の生活。僕のその日暮しの生活をそのまゝ書いて見たく思つてゐる。 — 梶井基次郎中谷孝雄宛て」(昭和5年10月6日付) 11月次号の『詩・現実第3冊に発表する作品原稿挫折したこの頃草稿「琴を持つた乞食舞踏人形「海」書かれたと推定されている。12月、『詩・現実第3冊には「冬の日」が再掲載。見舞いに来た淀野隆三に、「交尾」(その一、その二)の原稿見せて渡した。基次郎は淀野と近所散歩中、「東京横光はどうや?」と質問し勢いのあった横光利一ライバル視していた。 12月下旬、母が阿倍野小間物屋(勇の嫁・豊子に任せていた)を手伝うために帰ったため、基次郎は寒い冬を万年床過ごしたこの頃草稿温泉」が書かれたと推定されている。野菜や肉など食事十分に摂り、友人らが手土産持ってくるいたチーズバター食べていた基次郎だったが、身体は随分やせてきていた。北野中時代からの友人や、元『青空同人らは、みな社会人となり妻帯していた。結核持ちの基次郎だけが取り残された。

※この「重くなる病状――生活への愛着」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「重くなる病状――生活への愛着」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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