「詩・現実」
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梶井基次郎らが創刊した同人誌『青空』が1927年(昭和2年)6月の第28号で終刊になった後、同人の北川冬彦、三好達治、飯島正らは1928年(昭和3年)9月に春山行夫らと詩誌『詩と詩論』を創刊。北川から寄稿依頼された基次郎も「櫻の樹の下には」などを『詩と詩論』に発表していた。 その後、春山行夫の現実遊離路線と対立した北川冬彦、淀野隆三らは『詩と詩論』を脱退し、1930年(昭和5年)6月に武蔵野書院から同人誌『詩・現実』を創刊した。『詩・現実』は、当時の世界恐慌の情勢からマルクス主義に傾倒していた北川と淀野が主導し、「芸術のみが現実よりの遊離に於いて存在し得るといふのは、一つの幻想に過ぎない。現実に観よ、そして創造せよ」という標榜が掲げられた。 この創刊号に原稿依頼されていた基次郎も、その創刊目的に賛同して作品創作にかかっていたが、持病の結核のさらなる悪化に加えて、春に母・ヒサが病気入院し見舞いに追われるなどして痔疾もひどくなり(詳細は梶井基次郎#重くなる病状――生活への愛着を参照)、途中で頓挫してしまい(この頃すでに「のんきな患者」の草稿にかかっていた)、軽い気持で書いた猫の話を寄稿した。
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