近代のオーラ概念の系譜
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現代的な意味での実在するエネルギーとしての「オーラ」というコンセプトは、19世紀後半の科学的言説に由来する。 科学者としてオーラの存在を最初に主張したのは19世紀ドイツのカール・フォン・ライヘンバッハといわれる。ライヘンバッハは、宇宙に存在するすべてのもの(特に星々や惑星、水晶、磁石、人間など)から発出している物質が存在すると考え、オドの力と名づけた。オドの力には重さも長さもないが、計測可能であり、観察可能な物理的効果を及ぼすことができるとした。18世紀ドイツのフランツ・アントン・メスメルが提唱したメスメリズム(後の催眠術)における動物磁気のように、磁石などを通して伝導することができ、極性があると考えた。これらは現在では疑似科学であるが、当時は科学であり、科学者やメスメリストの注目を集めて広く影響を与え、現在のオーラの概念の原型となったと考えられている。大部分の科学者からは冷笑されたが、世間的には注目され、心霊現象研究協会の研究対象になった。 この時代オーラへの言及は少なかったが、20世紀初頭には増加し、特に近代神智学の関係者が注目した。1900年代の最初の10年に一種のブームになったが、表象文化論を研究する埼玉大学基盤教育研究センター准教授の加藤有希子によると、この時期のオーラ言説は、白人と有色人種のオーラの違いを語るといった形で、植民地主義的な人種差別、女性蔑視、病気や障害を持つ人への差別の温床になっていた。 医師ジョセフ・ローデス・ブキャナン(英語版)は、1852年に人間の神経系から発出している微細な流体が存在すると考えて「神経オーラ」と名付け、感受性の強い人間はそれを見ることができるとした。 近代神智学のチャールズ・W・レッドビーター(1854年 - 1934年)が、1903年にオーラという言葉を使っていないが、人体を取り巻く大気を主題にしオーラ論の先駆となった『Man Visible and Invisible』を出版、1927年の『チャクラ』でインドのチャクラの概念を独自に解釈し、各チャクラのプラーナ(オーラ)の色に虹の七色を当てはめて体系化し、オーラ言説をポスト植民地主義化・グローバル化した。インドの伝統ではチャクラの色に定まった体系はなく、虹色チャクラ説はインドの伝統とも西洋の信仰や神秘主義の文脈とも断絶している。これが近現代ヨーガやニューエイジに取り入れられ、普及した。 ライヘンバッハの影響を受け、ロンドンの開業医師ウォルター・ジョン・キルナー(英語版)(1847年-1920年)は、医学的な観点からオーラの研究を行い、1911年『人間の雰囲気』 (人間の大気、とも。The Human Atmosphere) を出版した。キルナーは、オーラの広がりは磁石に影響される、電流に反応する、ウィムズハースト式誘導起電機(静電気発生装置)による帯電で完全に消えてしまう、病気や精神力の減退がオーラの大きさと色に影響を与える、死が近づくとオーラは次第に小さくなり、死体の周りではオーラはまったく見られないなどの見解を示し、診断や予後の判断へのオーラの利用の可能性を示唆した。彼の研究によると、人間のオーラは、エーテル複体 (the Etheric Double)、内オーラ (the Inner Aura)、外オーラ (the Outer Aura) の3層から成るという。また、約0.3cm離れた2枚のガラス板の間に感光染料ジシアニンのアルコール溶液を満たした「ジシアニン・スクリーン」を通して見ると、オーラを見ることができ、3層のオーラを識別できると主張した。これを使って可視光線外を見るための目の訓練を行えば、直接オーラを見ることもできるという。このようなキルナーの主張は科学者には受け入れられなかったが、神智学やオカルトなどに影響を与えた。キルナーは『人間の雰囲気』で、異形、てんかん、ヒステリー、生理中の女性などのオーラを診断し、本来見えないはずの概念を利用して、現在でいう非健常者を差別化するような試みを行っていた。また彼の追随者のオーラ論者オスカー・バグナルは、有色人種とヨーロッパ人種のオーラは異なり、前者はグレー、後者はブルーであるといった人種差別的な見解を述べている。加藤有希子は、キルナー、バグナル、またエドガー・ケイシーの場合も、「社会的弱者に対して優位性を示したいという、コロニアリズム特有の歪んだ欲望が見て取れる」、現代から見ると時代錯誤な言説と判定すべきであると述べている。 19世紀アメリカにおけるキリスト教の異端的新潮流であるニューソートの教師で、フリーメイソンにして神智学協会会員、ペンシルヴァニア州の弁護士で催眠学の教授であったウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(英語版)(1862年 – 1932年、インド人ヨーガ行者ラマチャラカの名でも執筆したが、アメリカ人である) は、オーラとは実在する力だとし、「念体」だとした。オーラにもいくつかタイプがあるとし、その基本形の「プラーナ オーラ」は生命の原物質でもあるとした。
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