近代のガリシア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 06:32 UTC 版)
ガリシア王国は、1528年に初めて開かれたフンタ(gl:Xunta、行政を担当する自治政府)によってスペイン中央政権に対する単なる象徴となった。フンタは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ルーゴ、ベタンソス、ア・コルーニャ、モンドニェード、トゥイといった諸都市の代表で構成された。フンタは実際の権力を持たなかった。スペインの中央集権制が弱まったスペイン独立戦争時代にのみ、一部の自治権を獲得している。対フランス独立戦争の際には、フンタはガリシアが独立国であることを宣言した(1808年 - 1813年)。1813年、国王フェルナンド7世はすぐにガリシアを取り戻した。 ガリシア王国は公式に1833年まで存在した。これは、時の摂政で、女王イサベル2世の生母であるマリア・クリスティーナの元での地方分割が行われた時である。ガリシアは1846年の反乱で武装し、その地域の再統合が叶ったが、二度と王国の状態に戻ることはなかった。
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