精力善用国民体育
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精力善用国民体育(せいりょくぜんようこくんみんたいいく)は、体育的要素を取り込んだ1人でできる当身技の形の「単独動作」29本と、2人が組んで行う「相対動作」20本がある。「国民体育」というように、体育的に行う。 単独動作第一類(15本)五方当(5本)(ごほうあて)その場で足を動かさずに当身の動作左前斜当(ひだりまえななめあて) 右当(みぎあて) 後当(うしろあて) 前当(まえあて) 上当(うえあて) 大五方当(5本)(おおごほうあて)足を踏み込んで当身の動作大左前斜当(おおひだりまえななめあて) 大右当(おおみぎあて) 大後当(おおうしろあて) 大前当(おおまえあて) 大上当(おおうえあて) 五方蹴(5本)(ごほうげり)前蹴(まえげり) 後蹴(うしろげり) 左前斜蹴(ひだりまえななめげり) 右前斜蹴(みぎまえななめげり) 高蹴(たかげり) 第二類(14本)鏡磨(かがみみがき) 左右打(さゆううち) 前後突(ぜんごつき) 両手上突(りょうてうえつき) 大両手上突(おおりょうてうえつき) 左右交互下突(さゆうこうごしたつき) 両手下突(りょうてしたつき) 斜上打(ななめうえうち) 斜下打(ななめしたうち) 大斜上打(おおななめうえうち) 後隅突(うしろすみつき) 後打(うしろうち) 後突(うしろつき) 前下突(まえしたつき) 相対動作(20本)第一類(極式練習、10本)(きめしき)居取(いどり)両手取(りょうてどり) 振放(ふりはなし) 逆手取(ぎゃくてどり) 突掛(つきかけ、つっかけ) 切掛(きりかけ) 立合(たちあい)突上(つきあげ) 横打(よこうち) 後取(うしろどり) 斜突(ななめつき) 切下(きりおろし) 第二類(柔式練習、10本)(じゅうしき)一教(いっきょう)突出(つきだし) 肩押(かたおし) 肩廻(かたまわし) 切下(きりおろし) 片手取(かたてどり) 二教(にきょう)片手上(かたてあげ) 帯取(おびとり) 胸押(むねおし) 突上(つきあげ) 両眼突(りょうがんつき) また嘉納治五郎は「精力善用国民体育」が「攻防式国民体育」と「舞踊式国民体育」の二種によって構成されること、未完成で研究途中であった「舞踊式」の完成を図っていることを語っている。
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精力善用国民体育
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「柔道#擬働体操」も参照 「柔道#精力善用国民体育」も参照 1927年(昭和2年)、嘉納は講道館文化会において、「精力善用国民体育」を発表する。それは国民生活の改善のために体育と武術を兼ねており、いつでもどこでも稽古が実施可能であり、多様な目的を有する体育法として作成されたものだった。その中には1909年(明治42年)に嘉納が発表した「擬働体操」に含まれた、物を磨く動作及び当身技(突き、蹴り)と類似した動作が含まれていた。 嘉納は「精力善用国民体育」が「攻防式国民体育」と「舞踊式国民体育」の二種によって構成されること、研究途中であった「舞踊式」の完成を図っていることを、次のように語っている。「今日すでに案出せられている攻防式国民体育の普及を図ると同時に、今一層深くこれを研究して改良に努め、国民体育中、いまだ完成に至らざる舞踊式のごときは、研究を続け、なるべく早く世に発表することに努力するつもりである。」 この形には嘉納が乱取競技を認めつつ、その弊害を是正するための研究成果が随所にあり、柔道における競技性と武術性のバランスをいかにとるべきか、嘉納の視点を学ぶ上で貴重な資料となっている。
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精力善用国民体育
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嘉納治五郎の体育と当身技を合わせた論考は、明治42年7月発行『中等教育』掲載の小論「擬働体操について」にある四方蹴と四方当についての記載や、『柔道概説』(大正2年) などと続いて行き、昭和に入ってからは「攻防式国民体育」(昭和2年)として精力善用国民体育の形が発表され、『精力善用国民体育』(昭和5年)や『柔道教本』(昭和6年)等も併せて昭和2年から6年の間に発表された一連の著作で夥しい言及がなされている。研究成果は「精力善用国民体育の形」(単独動作・相対動作)としてまとめられたが、この形の制定理由について、嘉納治五郎は「私がこの国民体育を考察した理由は、一面に今日まで行われている柔道の形・乱取の欠陥を補おうとするにあるのだから、平素形・乱取を修行するものも、そこに留意してこの体育を研究もし、また実行もしなければならぬ」(昭和6年)と述べ、従来の講道館柔道の稽古体系に不足していた点を補う目的があったと述べている。精力善用国民体育の形には、単独動作と相対動作がある。下記の形は1930年(昭和5年)発行の嘉納治五郎『精力善用国民体育』による分類であるが、時期によって分類の仕方に多少の差異がある。 単独動作: 第一類:五方当(前斜当、横当、後当、前当、上当)、大五方当(大前斜当、大横当、大後当、大前当、大上当)、五方蹴(前蹴、後蹴、前斜(左右)蹴、前斜(左右)蹴、 高蹴)。 第二類:鏡磨、左右打、前後突、上突、大上突、左右交互下突、両手下突、斜上打、斜下打、大斜上打(甲乙)、後隅突、後打、後突前下突。 相対動作: 第一類:居取(両手取り、振り放し、逆手取り、突掛け、切掛け)、立合(突上げ、横打ち、後取り、斜突き、切下し)。 第二類:柔の形(突出、肩押、肩廻、切下し、片手捕、片手上、帯取、胸押、突上、両目突)。 また嘉納治五郎は「精力善用国民体育」が「攻防式国民体育」と「舞踊式国民体育」の二種によって構成されること、未完成で研究途中であった「舞踊式」の完成を図っていることを語っている。
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精力善用国民体育
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1927年(昭和2年)、嘉納は講道館文化会において、「精力善用国民体育」を発表する。それは国民生活の改善のために体育と武術を兼ねており、乱取や他の形に比べ実際に相手を投げることがないため柔道衣や道場など特別な施設や用具を必要とせずいつでもどこでも稽古が実施可能であり、また柔道の当身技が閑却されないように当身技、関節技、投技などの多様な技術を含むなど、多様な目的を有する体育法として作成されたものだった。その中には「擬働体操」に含まれた、物を磨く動作及び当身技(突き、蹴り)と類似した動作が含まれていた。 嘉納は1932年(昭和7年)「講道館の創立満五十周年を迎えて」では、「精力善用国民体育」が「攻防式国民体育」と「舞踊式国民体育」の二種によって構成されること、研究途中であった「舞踊式」の完成を図っていることを、次のように語っている。「柔道はその本来の目的から見れば、道場における乱取の練習の身をもって、満足すべきものではないということに鑑み、形の研究や練習に一層力を用い、棒術や剣術も研究し、外来のレスリングやボクシングにも及し、それらの改良を図ることに努めなければならぬ。かくして、武術として最高の権威者を養成し、まず国内に、漸次世界に及すつもりである。~中略~また、今日すでに案出せられている攻防式国民体育の普及を図ると同時に、今一層深くこれを研究して改良に努め、国民体育中、いまだ完成に至らざる舞踊式のごときは、研究を続け、なるべく早く世に発表することに努力するつもりである。」 嘉納の想定していた「精力善用国民体育」の目的は精力善用の精神の涵養と世界平和の実現にまで及んでいたが、1938年の嘉納の逝去後、太平洋戦争が拡大するにつれ、1942年に国民学校の体錬科において必修となる武道にその内容の当身技や極技が採用された。日本の敗戦後、1950年(昭和25年)5月に文部大臣天野貞祐からGHQに提出された柔道復活の嘆願書の内容には、新しい柔道のあり方として「戦時中行ったような野外で戦技訓練の一部として集団的に行う方法を全面的に廃止した」「当身技、関節技等の中で危険と思われる技術を除外した」という条文が見られた。そのように終戦後の日本において「精力善用国民体育」はGHQや世間の人々に軍国主義や戦争を想起させる懸念があり、公の場での実施が自重された。日本の敗戦後の社会情勢によって表舞台から遠ざかるを得なかったが、この形には嘉納が乱取競技を認めつつ、その弊害を是正するための研究成果が随所にあり、柔道における競技性と武術性のバランスをいかにとるべきか、嘉納の視点を学ぶ上で貴重な資料となっている。
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