体錬科武道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:24 UTC 版)
また戦況が深刻になるにつれ、学校においても明治以来の「体操科」は新たに「体錬科」と名称を変える。政府主導の国民学校体錬科においては皇国思想の養成と戦技能力の鍛錬が求められた。体錬科の教材として「教練」、「体操」(徒手体操、跳躍、懸垂、角力(相撲)、水泳など)、「武道」(剣道、柔道、銃剣道)が課せられ、柔道と剣道は偏ることなく併せて行い、常に攻撃を主眼として行うことが説かれた。体錬科武道の柔道の内容は、「基本」として「礼法」、「構」、「体の運用」、「受身」、「当身技」が教えられ、「応用」として「極技」、「投技」、「固技」があった。この当身技は、精力善用国民体育の単独動作の技であり、極技は相対動作の技と一致している。柔道技術の中の当身技が「基本」として重視され、戦時下において、柔道は実戦を目的とした教材に変えられたと言える。第二次大戦下「体練科武道」が実施される間、当身技は学校柔道を中心にして組織づけられ、発展した。柔道の当身技は武術的に取り扱われ、基礎的な修練から進んで撃突台や撃突具を使用しての実戦的な指導に進み、終戦末期に至っては、当身技は従来の指導体系を放棄して、白兵戦闘的動作へ移行し、そこで終戦を迎えた。
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