第六期・廃墟ブームと産業遺産期(1974年 - )
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「端島 (長崎県)」の記事における「第六期・廃墟ブームと産業遺産期(1974年 - )」の解説
ドルフィン桟橋から端島に上陸する観光客(上陸解禁2日目の2009年4月23日) 閉山前より西山夘三や、片寄俊秀をはじめとする西山研究室の人々によって、主に「住まい」の方面からの調査が行われていたが、島全体が三菱の私有地であり部外者に対しては「外勤」と呼ばれる監視が付くのはともかく、調査を行う西山研究室の人々の後を総務課のN氏が密かに付けているなど、会社に常に監視されており、調査は限定的にならざるを得なかった。 また、住人らは戦時中の「闇」の部分を語ろうとはしなかった。長崎造船大学の教授として、京大の西山夘三に代わって1970年5月から1974年の閉山までにかけて端島の生活を詳細に調べ上げた片寄は、軍艦島の充足した生活と言う「光」の部分だけでなく、戦時中の「圧制ヤマ」と呼ばれる奴隷労働や、中国人・朝鮮人の強制労働の実態といった「闇」の部分も明らかにし、論文『軍艦島の生活環境』(1974年)としてまとめ上げ、雑誌『住宅』(日本住宅協会、1974年5月号-7月号)に掲載された(この論文は西山研究室の研究の一環とみなされ、 西山の撮影した閉山前の写真・西山の論文とともに『軍艦島の生活<1952/1970>:住宅学者西山夘三の端島住宅調査レポート』としてまとめられている)。しかし、「これ以上暗い時代のことをほじくり出さないで欲しい」と言う元住民のまなざしと板挟みとなり、片寄は研究を中断するに至る。 閉山後より阿久井喜孝の調査によって、建築の方面からも光が当てられた(端島の建築には鉱山の技術が使われていることが明らかにされた)。また、高浜村端島支所の跡地から戦時中の日本人・中国人・朝鮮人の死亡者が記された『火葬認可証付申請書』が発見され、林えいだいの調査によって、端島炭坑の「闇」の部分にも光が当てられるようになった。戦時中の端島の朝鮮人坑夫の足取りに関しては、1992年に『死者への手紙―海底炭鉱の朝鮮人坑夫たち』としてまとめられた。奴隷労働があったとする片寄は、この調査に対して「その努力を決して無駄にしてはならないと思う」としている。 2000年代より、近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。無人化以来、建物の崩壊が進んでいる。ただし外壁の崩壊箇所については、一部コンクリートで修復が行われている。 島は三菱マテリアルが所有していたが、2001年(平成13年)、高島町(当時)に無償譲渡された。所有権は、2005年(平成17年)に高島町が長崎市に編入されたことに伴い、長崎市に継承された。建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、島内への立ち入りは長らく禁止されていた。2005年(平成17年)8月23日、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介された。島内の建築物はまだ整備されていない所が多いものの、ある程度は安全面での問題が解決され、2008年に長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立したことで、島の南部に整備された見学通路に限り、2009年(平成21年)4月22日から観光客が上陸・見学できるようになった(条例により、見学施設以外は島内全域が立入禁止)。解禁後の1か月で4,601人が端島に上陸した。その後も、半年間で34,445人、1年間で59,000人、3年間で275,000人と好調である。なお、上陸のためには風や波などの安全基準を満たしていることが条件になっており、長崎市は上陸できる日数を年間100日程度と見込んでいる。軍艦島上陸ツアーによる経済波及効果は65億円に上る。 一部で世界遺産への登録運動が行われ、2006年8月には経済産業省が端島を含めた明治期の産業施設を地域の観光資源としていかしてもらおうと、世界遺産への登録を支援することを決定した。2008年9月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年(平成21年)1月に記載された。軍艦島を国の文化財に指定する動きは、2013年11月5日の参議院内閣委員会にて秋野公造参議院議員が未だ国の文化財ではなかった軍艦島に国の財政支援を求める質疑を行い、国が必要な予算の確保に努める意向を示したことで、2014年1月に長崎市は文化財指定に向けて意見具申を行い、2014年6月20日に文化審議会が軍艦島(=端島炭鉱跡)を含む三つの炭坑跡で構成される「高島炭鉱跡」を史跡に指定するよう文部科学大臣に答申して、2014年10月6日に軍艦島は国史跡として文化財指定された。これで軍艦島が世界遺産登録へ向けて、非稼働遺産に必要な要件である国の文化的価値づけが明確になった。しかし、2015年3月31日に韓国政府が端島の世界遺産登録に反対を表明し、朴槿恵元大統領、尹炳世外交部長官が陣頭指揮を執り、ユネスコ、国際記念物遺跡会議、世界遺産委員国などに端島を世界遺産登録として認めないように外交活動を行っており、日韓の外交問題となっている。 長崎市の協力のもと、立入禁止区域や屋内を含む島内全域を撮影した端島のGoogle ストリートビューが、2013年6月28日に公開された。 長崎大学インフラ長寿命化センターは2009年度より軍艦島の3Dによる記録・保存管理に取り組んでおり、2014年には長崎市の委託を受けて、3Dレーザースキャナ・全方位カメラ・無人航空機 (ドローン)、水中ソナーなどを用いて、全島の3次元データでの記録化を行った 。
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