第六次シリア戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第六次シリア戦争の意味・解説 

第六次シリア戦争(前170年 - 前168年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 06:15 UTC 版)

シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の記事における「第六次シリア戦争(前170年 - 前168年)」の解説

第六次シリア戦争の原因不明だ紀元前180年プトレマイオス5世死亡した後、彼の継承者プトレマイオス6世もまた幼い君主だったため、母后クレオパトラ1世摂政務めたアンティオコス3世の娘でもあったクレオパトラは、エジプト宮廷で親セレウコス派と提携したが、紀元前176年クレオパトラ死去し国王新し後見人となった宦官出身のエウラエウスとレナイウスがセレウコス朝に対して冒険的な政策追求しながら、両国関係は再び戦雲漂った紀元前170年プトレマイオス朝セレウコス朝宣戦したが、戦略的要地コイレ・シリアパレスチナ失った状況で、それは間違いだったことが明らかになった。同年11月反撃乗り出したセレウコス朝アンティオコス4世は、エジプト関門に当たるペルシウム陥落させ、アレクサンドリア郊外にまで進軍した摂政入れ替わったエジプト宮廷講和交渉打診しアンティオコス4世プトレマイオス6世後見人となる条件合意した。 しかし、屈辱的な講和条件反発したアレクサンドリア貴族市民プトレマイオス6世の弟プトレマイオス8世擁立したことで、エジプト2人国王が争う内乱態となった。アレクサンドリア包囲したが、海上路での補給遮断できなかったアンティオコス4世は、近東問題がより急を要する事情もあり、紀元前169年末にエジプトからしばらく退却したセレウコス軍が撤退すると、プトレマイオス6世プトレマイオス8世和解しローマ支援求めた紀元前168年プトレマイオス朝への影響力喪失怒ったアンティオコス4世エジプトに再び侵攻しキプロスナイル川流域掌握した勢い乗ってアレクサンドリア押しかけた。この際マケドニア平定しローマエジプト問題強く介入し、元執政官ガイウス・ポピッリウス・ラエナス急派しており、無条件的な撤退最後通牒として伝えたローマ対決できなかったセレウコス朝はこれに屈服しプトレマイオス朝はたとえ名目上主権維持したが、ローマ従属国転落した

※この「第六次シリア戦争(前170年 - 前168年)」の解説は、「シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の解説の一部です。
「第六次シリア戦争(前170年 - 前168年)」を含む「シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の記事については、「シリア戦争 (プトレマイオス朝)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第六次シリア戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第六次シリア戦争」の関連用語

第六次シリア戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第六次シリア戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシリア戦争 (プトレマイオス朝) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS