第六次ブーゲンビル島沖航空戦
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「ブーゲンビル島沖航空戦」の記事における「第六次ブーゲンビル島沖航空戦」の解説
11月19日にガルヴァニック作戦を連合軍が開始して以降、戦局の焦点はギルバート、マーシャル方面に移行(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)、第一基地航空部隊のソロモン方面に対する航空作戦は、敵の奇襲に備えるための航空哨戒と、タロキナ揚陸点の物資集積所や建設中の飛行場に対する夜間攻撃といった間接的な任務に終始していたものの、陸攻隊、艦攻隊、水偵隊は連夜のごとく出撃している。ろ号作戦開始時、ラバウル周辺に配備されていた零戦は約175機だったが、母艦飛行機隊が後退した14日には50機程度に低下していた。その後増勢もあったが、17日の攻撃による損害と、22日に実施された航空撃滅戦により零戦隊は損耗を受け、11月中の零戦の損害は63機に達していた。こうした損耗の結果、以後積極的に航空作戦を実施することが叶わなかったのである。 12月2日の午後から3日の午後にかけて、日本軍の見張り所、彗星の哨戒機、偵察部隊の陸偵は次々シンボ島(英語版)とモノ島の西方において「空母」を含む敵部隊が北上するのを発見した。これはLST8隻、LCI5隻、駆逐艦6隻からなるタロキナ輸送第9梯団であり、駆逐艦4隻に支援されて4日タロキナに揚陸を実施している。3日、草加任一中将はこの目標に対する薄暮攻撃を命令、第五空襲部隊の陸攻6機と爆装の月光1機が15時35分に、第六空襲部隊の艦爆17機と艦攻11機(うち天山6機)が16時にそれぞれラバウルを発進した。第六空襲部隊は17時55分、モノ島西方50浬に「空母四隻、戦艦二隻」を含む「27隻以上」の艦隊を発見、また先に出発していた陸攻の触接機もその5分後モノ島の西方30浬に「中型空母四隻、戦艦なるやも知れぬ艦一隻ないし二隻」を含む「十数隻」の艦隊を発見し吊光弾などで陸攻隊を誘導、月光は18時6分から20分にかけて特殊電波反射紙を散布した。両攻撃隊は18時10分から40分にかけての間に雷撃、爆撃、銃撃を実施、第六空襲部隊は総合戦果を「撃沈 空母三隻、戦艦一隻、甲巡一隻 撃破(撃沈概ネ確実) 甲巡一隻、駆逐艦一隻 撃破 戦艦一隻」と報じた一方、第五空襲部隊の戦闘詳報には「陸攻二機ハ視界極メテ不良ノ為 視認照準発射意ノ如クナラズ 敵機ノ妨害ヲ受ケ一時避退中敵ヲ見失ヒ 二一三〇迄索敵セルモ遂ニ補足スルニ至ラズ…」と記されている。またこの攻撃で陸攻2機、艦攻6機、艦爆2機が未帰還となった。 大本営は5日15時、本航空戦を「第六次ブーゲンビル島沖航空戦」と呼称する旨を発表、合わせて戦果も発表された。 撃沈 空母三隻、戦艦一隻、甲巡一隻 撃破(撃沈概ネ確実) 甲巡一隻、駆逐艦一隻 撃破 戦艦一隻 第一時から第四時までのブーゲンビル島沖航空戦には戦果確認機が派遣されたことはなく、第五次ブーゲンビル島沖航空戦の際、艦攻1機が全機の攻撃終了まで戦場にとどまっていたのみであった。このため横須賀航空隊戦訓調査委員会は11月下旬に「夜間戦果確認ハ一般ニ困難ナルヲ以テ 翌朝ノ索敵等ニ依リ之ガ確認ノ手段ヲ講ズルヲ可トス」と指摘、このためか南東方面部隊司令部は12月3日深夜、翌日の作戦に関して「第六空襲部隊ハ(ボ島)西岸ノ偵察及戦場付近ノ捜索ヲ実施シ戦果確認資料ノ獲得ニ努ムベシ」と命令している。 4日朝の陸偵は「ガゼレ湾に巡洋艦一隻、駆逐艦二隻、輸送船四席、大発多数」の発見を、彗星は「モノ島西方に巡洋艦四席北上」の発見をそれぞれ報告したが、前夜の航空戦の戦果を証明する材料にはならなかった。
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