強制労働の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 05:04 UTC 版)
当時ニッケル鉱石の採掘は露天掘りの大江山鉱山で人海戦術を用いて行われたが、日本人鉱夫の多くが出征し人手が足りなくなると、学生、囚人が大量に投入され、さらに太平洋戦争の勃発にともなって香港、マレー半島、シンガポール、フィリピンなどで日本軍が捕獲した多数の連合軍捕虜が現場に投入された。この当時の状況は、フランク・エバンス著『Roll Call at Oeyama P.O.W. Remembers 大江山の点呼 捕虜は思い出す』(1985年、イギリスにて出版。日本語版は2009年7月に『憎悪と和解の大江山 ― あるイギリス兵捕虜の手記』として(株)彩流社より出版)に詳しく、戦争末年期の医薬食料事情悪化の中での栄養不足を中心とした状況が描かれている。 また、近くには監視人がおり、見つかると叩くや殴る、蹴るなどの暴力を振ったりしたという。 しかし、その中に食べ物をお楚々分けした監視人もいた。 その名が慰霊塔に書かれているという。
※この「強制労働の実態」の解説は、「大江山鉱山」の解説の一部です。
「強制労働の実態」を含む「大江山鉱山」の記事については、「大江山鉱山」の概要を参照ください。
- 強制労働の実態のページへのリンク