イギリスにて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 10:01 UTC 版)
「キャスリーン・キャヴェンディッシュ (ハーティントン侯爵夫人)」の記事における「イギリスにて」の解説
1938年、フランクリン・ルーズベルト大統領が父ジョセフを駐英大使に任命し、一家でロンドンに居住した。このことは、キャスリーンのその後の人生に大きな影響を与えた。ロンドンのクイーンズ・カレッジで教育を受け、イギリスの上流社会で男女を問わず幅広い交友関係を築いていった。デイヴィッド・ロックフェラーと交際し、シャーロット王妃の舞踏会(英語版)でデビューした彼女は、イギリスのメディアから「1938年のデビュタント」と評された。 1939年9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発したとき、キャスリーンは友人のジェイニー・ケニヨン・スレイニーとともに南フランスに滞在していた。2人は急いでイギリスに戻った。ケネディ家は、ジョセフとローズマリーを救うためにアメリカに戻った。イギリスで多くの友人ができ、イギリスを気に入っていたキャスリーンは、危険が迫っているにもかかわらずロンドンに残りたいと両親に懇願した。しかし、父はそれを断り、1939年の初秋にキャスリーンを帰国させた。 アメリカ帰国後、キャスリーンは一時的にフィンチ大学に入学し、その後フロリダ商業大学に転校した。学業の傍ら、アメリカ赤十字社でのボランティア活動も始めた。1941年、キャスリーンは退学を決意し、『ワシントン・タイムズ・ヘラルド(英語版)』紙のエグゼクティブ・エディターであるフランク・ウォルドロップのリサーチ・アシスタントとして働き始めた。その後、コラムを寄稿していたインガ・アルバード(英語版)とチームを組み、やがて自分のコラム連載を持って、映画や演劇を批評するようになった。
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