イギリスによる接収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 03:19 UTC 版)
「黒潮丸 (タンカー)」の記事における「イギリスによる接収」の解説
香港における「永灝」修理中の1949年10月に中華人民共和国が成立し、旧中華民国側(台湾国民政府)が台湾に逃れると、「永灝」の船主である中國油輪公司も中華人民共和国側(上海)と台湾国民政府側(台北)に分裂した。そして、中華人民共和国側・台湾国民政府側の双方が「永灝」の引渡しを要求した。1950年1月にイギリス政府は中華人民共和国を承認して台湾国民政府との外交関係を停止したが、「永灝」の引渡しについては裁判などの駆け引きが続いた。1950年6月には朝鮮戦争が勃発し、同年10月に中国人民志願軍が参戦するとイギリスと中華人民共和国は実質的な交戦状態となった。1950年10月に中華人民共和国側は「永灝」を引き取るための船長らを香港に派遣し、同年12月23日に修理工事の主任技師と示し合わせて「永灝」に五星紅旗を掲げ、中華人民共和国側への帰属を宣言した。台湾国民政府側は「永灝」の出港を警戒し、1951年2-3月に艦艇や航空機をたびたび出動させた。1951年3月11日、中華人民共和国側は「永灝」を霧に隠れて無断出港させようとしたが、香港水上警察によって阻止され、九龍湾に抑留された。 アメリカ政府は「永灝」が中華人民共和国側に軍事利用されることを懸念し、イギリス政府に「永灝」を接収するよう働きかけた。イギリス政府は中華人民共和国との経済関係に悪影響が及ぶことを予想して悩んだが、最終的に本国の閣議決定を経て1951年4月6日にイギリス総督府は「永灝」の徴用を発令、武装した香港水上警察を動員して接収し、五星紅旗を下ろして船員を退去させた。イギリス政府の植民地大臣は議会下院において、「永灝」が朝鮮戦争で中国人民志願軍や北朝鮮軍の燃料輸送に使用される危険があるため徴用したと報告した。中華人民共和国政府は、報復としてロイヤル・ダッチ・シェル系列の亜細亜火油公司(中国語版)の資産を没収した。 イギリス政府は「永灝」をシンガポールへ回航してイギリス海軍補助艦隊(RFA)の補給艦「サーフ・パイロット」と改名した。「サーフ・パイロット」は公式にはサーフ級給油艦(英語版)の3番艦とみなされたが、サンダーランドにあるバートラム・アンド・サンズ(英語版)造船所で建造された同級1番艦・2番艦(7,742総トン)とは設計が異なる。「サーフ・パイロット」はシンガポールでドック入りしたが、戦列加入は見送られた。シンガポール港内に繋留された状態で、1960年(昭和35年)3月に廃船となるまでイギリス海軍補助艦隊に在籍していた。
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