イギリスによる併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 00:26 UTC 版)
1809年、ドッダ・ヴィーラ・ラージェンドラが死去すると、その娘のデーヴァンマージーが即位した。 だが、1811年にはドッダ・ヴィーラ・ラージェーンドラの弟リンガ・ラージェーンドラ2世が即位した。リンガ・ラージェーンドラ2世は1812年から1814年にかけてマディケーリの宮殿をヨーロッパ風の漆喰煉瓦造りに改築したばかりか、1820年にオームカーレーシュワル寺院を建造した。 1820年、リンガ・ラージェーンドラ2世は死亡し、その息子のチッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラが王位を継承した。だが、彼はかなり残忍な性格であり、恐怖で人民を統治し、圧政を敷いた。 1834年4月11日、チッカ・ヴィーラ・ラージェーンドラはイギリスによって廃位され、コダグ藩王国は併合された。彼は年金生活者となり、娘のガウランマと共に英国に渡って客死した。
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