イギリスによる植民地支配の回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:06 UTC 版)
「シンガポールの歴史」の記事における「イギリスによる植民地支配の回復」の解説
1945年8月に、日本の敗戦により第二次世界大戦が終結し日本軍が撤退したものの、日本と入れ替わり戻ってきたイギリスによる植民地支配は継続することとなり、長年の念願であった独立への道は再び閉ざされてしまうこととなった。 しかし、長年マレー半島において搾取を行った宗主国のイギリスに対する地元住民の反感は強く、その後も独立運動が続くことになった。また、第二次世界大戦によって大きなダメージを受けたイギリスには、本国から遠く離れたマレー半島における独立運動を抑え込む余力はもう残っていない上、諸外国からの植民地支配に対する反感も強く、いよいよ植民地支配を放棄せざるを得ない状況に追い込まれた。1955年、リンデル委員会のシンガポール自治についての勧告に基づいて、立法議会25議席の選挙が行われ、10議席をとった労働戦線のデヴィッド・マーシャルが、シンガポール連盟党と連立し首席大臣に就任する。1956年、ロンドンに赴き自治権獲得の交渉し不調に終わるが、1958年には外交と国防を除く自治権が与えられる。
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