イギリスによる発見と領有
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 04:38 UTC 版)
「オークランド諸島」の記事における「イギリスによる発見と領有」の解説
1806年、イギリス・エンダービー社(Samuel Enderby & Sons)の捕鯨船 Ocean によって、この諸島は「発見」された。このとき、島に住民はいなかった。船長アブラハム・ブリストー(Abraham Bristow)は、1806年8月18日に「オークランド卿の(諸島)」 (Lord Auckland's)と命名した。父親の友人である初代オークランド男爵ウィリアム・イーデン(英語版)に敬意を表したものである。なお、エンダービー社の経営者であるサミュエル・エンダービー・ジュニア(Samuel Enderby Junior)にちなんで「エンダービー島」が命名されている。翌1807年にブリストーは Sarah で再び島に戻り、諸島がイギリス領であると主張した。 諸島の発見から間もなくして、諸島は太平洋における捕鯨・アザラシ猟の基地として名が知られるようになった。これらに従事する人々は、諸島に一時的な拠点を築いた。島のアザラシ猟は1812年頃まで活発に行われたが、利益が出なくなったことから、アザラシ猟師たちはキャンベル島・マッコーリー島に移っていった。アザラシの数の回復と共にアザラシ猟も持ち直し、1820年代半ば頃まで行われていた。 1839年には探検家のデュモン・デュルビルがオークランド諸島を訪れた。また、同1839年と翌1840年には探検家のジェームズ・クラーク・ロスがオークランド諸島を訪れている。
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