イギリスによる裏切り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:20 UTC 版)
「マハトマ・ガンディー」の記事における「イギリスによる裏切り」の解説
1914年に第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。ガンディーはこの約束を信じ、インド人へイギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行った。 しかし戦争がイギリスの勝利に終わっても、自治の拡大は、インド人が期待したほどの速度では進行しなかった。また第一次世界大戦でイギリスと戦ったドイツからの援助を受けていた一派による蛮行を抑えるため、インド帝国政府は強圧的な「ローラット法」を制定するにいたる。 さらに1919年4月13日には、パンジャーブ地方アムリットサル(シク教の聖地)でスワデーシー(「自分の国」の意で、国産品愛用運動)の要求と、ローラット法発布に対する抗議のために集まった非武装の市民を、グルカ族およびイスラーム教徒からなるインド軍部隊が無差別に射撃して数百人を虐殺した「アムリットサル事件」が発生した。この一連のインド帝国政府の態度は、ガンディーに「イギリスへの協力は独立へとつながらない」という信念を抱かせるようになった。
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