イギリスに対する莫大な負担
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/27 04:18 UTC 版)
「カルナータカ太守」の記事における「イギリスに対する莫大な負担」の解説
ムハンマド・アリー・ハーンはマイソール王国の軍を撃退するためにイギリスに対して莫大な支払いを余儀なくされたが、負債の額はさらに増してゆき、ついには政権の崩壊すら危うくなった。 そのため、1781年にイギリスはマイソール戦争の戦費を要求しない代わり、その全領土の徴税権を譲り受け、イギリス自ら徴税にあたることにした。 第二次マイソール戦争終了後、1785年にムハンマド・アリー・ハーンは戦争時の臨時戦費を負担することで徴税権を回復した。だが、1790年に第三次マイソール戦争が勃発すると、イギリスは臨時戦費の支払い能力がないことを理由とし、再びその徴税権を摂取した。 第三次マイソール戦争が終結すると、1792年7月12日にムハンマド・アリー・ハーンは平時の戦費負担、半自立的領主ポリガールからの貢納による徴収をイギリスに納めることで、なんとか徴税権を獲得した。だが、これにより外交権の放棄が定められてしまい、事実上太守の領土はイギリス保護下に置かれた。
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