イギリスによる統治と独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/27 16:55 UTC 版)
「エスワティニの歴史」の記事における「イギリスによる統治と独立」の解説
19世紀中ごろムスワジ2世の時、ズールー人へ対抗する為にイギリスへ援助を求め、19世紀末にはトランスバールに拠るオランダ系ボーア人の侵略に悩まされ、イギリスの保護を得ようとした。 1880年代には利権の為にヨーロッパ人がスワジ王ムバンデニを訪れ、1888年ヨーロッパ人に自治憲章が与えられた。1890年代にはイギリス、トランスバールによる共同統治を受け、その後スワジ人の反対を無視しトランスバール1国で統治した。 ボーア戦争が起きると、1902年にはイギリス高等弁務官領となるが、スワジ人独特の政治組織は残された。1921年にはソブーザ2世が白人からの土地奪回を図るも失敗した。この体制は1963年まで続いた。 1963年イギリス高等弁務官領から自治領となった。自治領ではイギリス女王の弁務官がスワジランド憲法により任命され、行政評議会、立法評議会が設置されると言うシステムがとられた。1967年には保護領となり内政の自治を得た。そして1968年9月6日スワジランド王国として独立した。
※この「イギリスによる統治と独立」の解説は、「エスワティニの歴史」の解説の一部です。
「イギリスによる統治と独立」を含む「エスワティニの歴史」の記事については、「エスワティニの歴史」の概要を参照ください。
- イギリスによる統治と独立のページへのリンク