島内の建築物とは? わかりやすく解説

島内の建築物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 19:13 UTC 版)

端島 (長崎県)」の記事における「島内の建築物」の解説

端島に残る集合住宅中には保存運動話題になった同潤会アパートより古いものがいくつか含まれている。7階建の30号棟1916年大正5年)の建設で、日本初鉄筋コンクリート造高層アパートである(ただし1916年竣工時は4階建て)。 30号棟皮切りに長屋高層化したような日給社宅16号棟から20号棟、1918年)など、次々高層アパート建設された。第二次世界大戦前頃、国内では物資不足し統制が行われ、鉄筋コンクリート造建物建設されなくなったが、この島では例外的に建設続けられ1945年竣工65号棟端島最大集合住宅である。なお、端島鉄筋コンクリート造住宅建設されたのは、狭い島内に多く住人住まわせるため建物高層化する必要に迫られていたためであり、鉱長や幹部職員などのための高級住宅木造であった高層アパート中には売店保育園警察派出所郵便局パチンコ屋などが地下屋上設けられたものがいくつかあった。また、各棟をつなぐ複雑な廊下通路としても使われでも傘を差さず島内歩ける」と言われたという。 どの建物にも人員エレベーター設置されておらず(1945年建設65号棟計画されたが、資金不足結局設置されなかった。なお小中学校には、閉山までのごく短い期間、給食エレベーター設置された)、また個別浴室設備内風呂)を備えるのは鉱長社宅の5号棟(1950年)および幹部職員アパート3号棟1959年)、職員集会宿泊施設7号棟(1953年)、そして島内唯一の旅館清風荘」だけであったトイレ多く落下式であったが、閉山時には半数ほどの住宅水洗式導入されていた。炊事場閉山まで共同のところが多かった岩山南端貯水槽の隣に灯台があるが、これは閉山によって夜間の島の明かり無くなったため、その翌年1975年建てられ同年12月29日に初点灯したもので、正式名称は『肥前端島灯台』。灯台は、1998年12月17日強化プラスチック製の「2代目」に建て替えられた。 木造鉄骨造建設され建物は、元から荒波晒され続けた(酷い時には全体を波が覆う事すらあった)上に、風雨のほか、防水技術問題無人化によって維持管理がなされなくなったことから急速に劣化しており、1号棟端島神社)の拝殿をはじめ完全に崩壊したものが多い。なお、潮害対策として、建物外部に鉄製部品用いられることはほとんどなかった。鉄筋コンクリート造場合も、その技術未熟な時期のものも多く配筋計画問題のほか、建材入手難から海砂混ぜていたこともあり劣化進んでいる。5657号棟に設けられキャンチレバー張り出しベランダ)は、その設計不備があったため亀裂入り鉄パイプ支柱補強されていたが、閉山後その支柱消失しキャンチレバー崩落するのは『時間の問題とみられる70号棟(小中学校校舎)は波で土台の土が浚われ基礎杭剥き出しになっている30号棟筆頭に古い鉄コンクリート建造物取り壊される事無く手付かずのまま放棄されているため、建築工学観点からも経年劣化などの貴重な資料として注目されている

※この「島内の建築物」の解説は、「端島 (長崎県)」の解説の一部です。
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