神学部時代とは? わかりやすく解説

神学部時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)

マルティン・ハイデッガー」の記事における「神学部時代」の解説

1909年9月30日オーストリアのフォールアルベルク地方フェルトキルヒ近郊ティジスのイエズス会修練修練期用新入生宿舎登録する。しかし10月13日病気理由修練監督より除籍される。フライブルク大学神学部冬学期から入学し入寮当日から図書館フッサールの『論理学研究』を借りだし、研究始めたブレンターノ学位論文理解するのに役立つと考えたからだという。カール・ブライヒ教授からヘーゲルシェリングを、ヴィルヘルム・フェーゲ教授から芸術史を、ゴットフリート・ホーベルクの聖書解釈学、ユリウス・マイアーのカトリックにおける所有権講座、ゲオルク・フォン・ベロウの憲法講座聴講した。ゲオルク・フォン・ベロウは国家人間本質的な絆であり文化根源で、等族制を擁護し民主主義ドイツ民族を脅かすものであり、ユダヤ人普及させていると考え第一次世界大戦時にはドイツ祖国党指導者一人であった1910年8月15日メスキルヒ隣村のクレーンハイツシュテーテンでアーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラ記念碑除幕式参列し、その感想文ミュンヘン雑誌『アルゲマイネ・ルントシャウ(公衆評論)』に発表したアーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラ著書ウィーン覚書』は1683年トルコ軍によるウィーン包囲に際して書かれトルコ人は「紛れも無いアンチ・キリスト虚栄の塊の看守貪欲な虎、呪われた世界破壊者」とされ、ユダヤ人は「恥知らずで、罪深く良心持たず悪辣で、軽率で、卑劣いまいましい輩、悪党」として、ペストユダヤ人墓掘り人、魔女によって引き起こされたとし、「神はドイツ人見放すことはない」と説教し、『幕屋II』では「イエス司直売り渡したあのユダヤ人の子孫は、その後永劫の罰を受けねばならないと書いている。こうした反ユダヤ主義は、カトリックでは中世からの伝統であり、アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラ説教オーストリア南ドイツでの反ユダヤ主義発展にも貢献したとされ、またクレメンス・マリア・ホフバウアーをその精神上の父とし、啓蒙合理主義主要な敵とするキリスト教社会運動(Christlichsoziale Bewegung)に影響受けたカール・ルエーガーキリスト教社会党(Christlichsoziale Partei)へと受け継がれた。アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラ記念碑ウィーン市となっていたカール・ルエーガーから1000クローネ援助受けて建設されたものであった。また雑誌『アルゲマイネ・ルントシャウ』はルエーガーの「祖国を救うために、ユダヤ人握られている自由主義と戦う」と主張した論文掲載していた。ハイデッガー銅像について「天才的な頭(老年ゲーテ見紛うほど似ている)を見ると、広く浮きだしている額の背後には、多年風雨に耐えてきた不屈のエネルギーと、脈打ち続け行為への衝動実行に移さんとする深く汲み尽くせない精神とが宿っている」「アーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラのようなタイプの人は、静かに国民の魂の中に保持されて、我々のためになるものでなければならないと書いた。この論文ではウィーンリヒャルト・フォン・クラーリク(Richard Kralik)のカトリック保守主義と、カール・ムートのモダニズムとの間で起こっていた文学論争についても主題となっており、ハイデッガーはクラーリク派の「グラール同盟」に参加していた。クラーリクの立場モンタノス派厳格な禁欲主義であった。クラーリク派の学生同盟は、若者一つの「共同社会」に結集させ、近代文明技術公然と対立して素朴な生」を獲得することを使命としていた。クラーリクは「すべての民族には、ダニエル書にもあるように、それぞれに独自の守り神ないし守護天使導き守護神がある。しかし身体の四肢が、それぞれに同等尊厳はあるにしても違った機能果たしているように、民族異なり国家異なると、神の摂理によって、異なった役割異なった使命割当られる。[…]重要なのは、種族ではなく肉体でもなく、精神、魂である。あの偉大な歴史家タキトゥスが、当時ゲルマン人をその他すべての民族の中から選び出したのも、彼がゲルマン精神畏敬の念抱いていたというただそれだけ理由からであったと書いており、これはカトリックオーストリア主導する新しドイツ国民の神聖ローマ帝国」の理念と結びついたものであった。クラーリクはまたカール・ルートヴィヒ・フォン・ハラー(Karl Ludwig von Haller)、フリードリヒ・フォン・シュレーゲルフランツ・フォン・バーダーらのロマン主義カトリック引き継いで等族国家モデルにした。ファリアスはクラーリクが等族国家モデルにして社会民主主義対抗したことは、ハイデッガー共産主義対抗してナチズム持ちだした仕方同一であると論じた。クラーリクは暫定的な国歌歌詞として「神よ我らの国を守り給えユダヤ人から我らの国を守り給え」と公表してもいる。ハイデッガーはクレメンス・マリア・ホーフバウワーやウィーン住んだフリードリヒ・フォン・シュレーゲル生の哲学共感している。 神学部在籍時にハイデッガーは、教会権威保守しモダニズム対抗するカトリックアカデミー同盟 (Katholischen Akademiker Verbandes)の月刊誌アカデミカ−」に8篇寄稿した。「F.W.フェルスター(Friedrich Wilhelm Foerster)の『権威自由 教会文化問題についての考察書評」では、「教会がその永遠の真理という宝を守ろうとして、モダニズム破壊的影響を防ぐのは当然のことである」と書かれた。 ジグマリンゲン郡ドナウ川上流沿いのボイロンにあるベネディクト派ボイロン修道院ハイデッガー好み大学休暇になると自転車メスキルヒからボイロンまで行き405,000冊というドイツ内の修道院最大蔵書数保管する図書室勉強し司書P・アンゼルム親しくなった。1930年代にもハイデッガーボイロン修道院をたびたび訪れ図書室アウグスティヌス研究行った

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