神奈川開港と都市横浜の誕生・発展とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 神奈川開港と都市横浜の誕生・発展の意味・解説 

神奈川開港と都市横浜の誕生・発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:12 UTC 版)

横浜市」の記事における「神奈川開港と都市横浜の誕生・発展」の解説

横浜村運命一変させたのは、当時国交を持たなかったアメリカマシュー・ペリー率い黒船来航であった太平洋航路拠点として、また、捕鯨の際の供給基地として日本の港を利用することを望んだアメリカ海軍黒船一行六浦藩小柴沖(現在の金沢区八景島周辺)に無許可のまま2か月投錨し幕府の対応待った後に横浜沖へと進み入りその後幕府横浜村設営した応接所で外交交渉行った交渉結果嘉永7年/安政元年1854年)に横浜村日米和親条約締結され安政5年1858年)には神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン上で日米修好通商条約締結された。この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜都市開発発端となった幕府は、東海道直結し当時既に栄えていた神奈川湊避け外国人居留地遠ざけるため、対岸横浜村を「神奈川横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間外国人居留地深谷市在の笹井万太郎による波止場運上所税関)など国際港の体裁整えられ安政6年6月2日1859年7月1日)に横浜港開港した横浜市では、6月2日開港記念日としている。しかし勅許6年遅れた文久/元治元年1864年)には安政五カ国条約相手国へ横浜鎖港談判使節団派遣する失敗薩英戦争まで起こった騒然とした世相にも関わらず横浜にはジャーディン・マセソン(怡和洋行)、デント商会、そしてオリエンタル・バンク進出してきた。慶応2年1866年)には香港上海銀行支店出した明治5年1872年)にはドイツ銀行までやってきた。 横浜村幕府設置した運上所税関)を境に、以南外国人居留地横浜居留地)、以北日本人居住区とした。境界には関所置かれ関所から外国人居留地側を関内、以外を関外と呼んだ外国人居留地には、イギリスフランスドイツアメリカ中心とした各国外国商館立ち並んだ。今に残る横浜中華街は、外国人居留地中に形成され中国人商館起源とする。一方日本人居住地横浜町名付け5区域に分割し各区域に名主置いて総年寄が町全体統括初代横浜総年寄には保土ヶ谷宿本陣第10代当主苅部清兵衛悦甫が就いた明治6年横浜町は第1区1番組編入され1874年明治7年6月14日大区小区制により第1大区1小区となり、1878年明治11年11月21日郡区町村編制法に基づき、第1大区横浜区となり、久良岐郡から分離して横浜区長が管轄することとされた。そして、1889年明治22年4月1日市制施行される同時に横浜区は市となり、横浜市誕生した当時市域面積は、横浜港周辺5.4 km²面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年時点)に達したその後関内地区市政商業中心地として発展する開港当初横浜港には、東波止場イギリス波止場)と西波止場税関波止場)が設置され東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた象の鼻は、現在の大さん橋付け根部分にあたる。ここでの貿易は、生糸海産物輸出され絹織物毛織物輸入された。明治3年4月15日1870年5月15日)には、当時神奈川県知事であった井関盛艮進言により、横浜及び横浜港守り神として、野毛山伊勢山皇大神宮国費を以て創建され、この日は横浜市祝日定められた。明治5年9月12日1872年10月14日)には、新橋(後の汐留駅。現在は廃止)と横浜現在の桜木町駅)を繋ぐ日本初官設鉄道開通し新橋横浜それぞれの会場盛大に開業式典が執り行われた。同年には、神奈川駅現在の横浜駅近傍)と鶴見駅開設されている。当時生糸貿易主導権外国商館にあった。そのため、横浜商人呼ばれた日本人貿易商は、1873年明治6年)には生糸改会社設立して競争力高め1881年明治14年)には生糸預所設立して生糸貿易主導権確立努めたまた、横浜商人たちは、県営水道設置1887年明治20年))、横浜共同電灯会社の設立1890年明治23年))、十全病院設立1891年明治24年))、生糸検査所商業会議所設立1895年明治28年))など、都市基盤の整備商業発達大きく寄与した1909年明治42年)には開港50周年迎えこの年7月1日から3日間にわたって横浜開港50年祭と銘打った数々記念行事催され、「全市は殆ど家族打連れ外出せしやの観あり」と伝えられた。できたばかり新港埠頭行われた式典では、森鷗外作詞による『横浜市歌』が、市内小学生合唱によって初め披露され各国艦船祝砲放ったまた、この時、市章の「浜菱」が制定され市民寄付による開港記念横浜会館1917年大正6年竣工。現・横浜市開港記念会館ジャックの塔)の建設計画されるなど、市制施行20周年併せて盛大に祝われた。大正時代に入ると、鶴見川河口埋立始まって京浜工業地帯形成され始め横浜港工業港としての性格をも持ち始めることとなる。

※この「神奈川開港と都市横浜の誕生・発展」の解説は、「横浜市」の解説の一部です。
「神奈川開港と都市横浜の誕生・発展」を含む「横浜市」の記事については、「横浜市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「神奈川開港と都市横浜の誕生・発展」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「神奈川開港と都市横浜の誕生・発展」の関連用語

1
2% |||||

神奈川開港と都市横浜の誕生・発展のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



神奈川開港と都市横浜の誕生・発展のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの横浜市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS