都市基盤の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:17 UTC 版)
1908年(明治41年)、広石に門司市役所庁舎が建設された。 門司市は、土木工事として、水道工事と門司港修築工事に力を入れた。人口が増加する一方で、飲料水が乏しかったため、企救郡中谷村大字頂吉(かぐめよし)を水源として、最初の工事は1909年(明治42年)に着手し、1911年(明治44年)に一部給水開始、1912年(明治45年)に竣工した。頂吉に貯水池、小森江の山腹に浄水場を設けた。その後も拡張工事が重ねられた。 門司港修築工事については、1916年(大正5年)以降、大蔵省の予算で、東海岸の埋立て・岸壁の築造、防波堤の築造、上屋2棟の建築が行われ、1917年(大正6年)以降、門司市の予算で、旧門司沿岸の埋立て、岸壁・防波堤の築造工事が行われた。しかし、水深が限られており、岸壁には小船しか係留できないという問題があったことから、1919年(大正8年)から、内務省直轄工事として修築工事が行われ、1931年(昭和6年)3月に概ね竣工した。 また、市制施行以前に引き続く第2期の市区設計として、明治35年から大正初期にかけて、庄司町、畑田町、清滝、小森江などで、河川、橋梁、道路新設の工事が行われた。1923年(大正12年)5月には門司市が都市計画法の施行地に指定された。
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