社会的コミュニケーションの困難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 11:23 UTC 版)
「アスペルガー症候群」の記事における「社会的コミュニケーションの困難」の解説
アスペルガーの人は、多くの非アスペルガーの人と同様か、またはそれ以上に強く感情の反応をするが、何に対して反応するかは常に違う。彼らが苦手なものは「他人の情緒を理解すること」「言葉やジェスチャーの裏に隠された意味を理解すること(非言語コミュニケーション)を図ること」である。しかし手話のように目で見て理解する事は可能なため、身体的動作の細かな意味を理解して、記憶することで瞬時の判断を賄うことが可能である。 例として、教師がアスペルガーをもつ子供に(宿題を忘れたことを問いただす意味で)「犬があなたの宿題を食べちゃったの?」と尋ねると、その子は押し黙ってしまう。この時、教師に自分は犬を飼っておらず、普通犬は紙を食べないことを説明する必要があるのかどうかを考え、教師の表情や声のトーンから暗に意味していることを理解できないのである。教師がこの子は宿題のことをうやむやにしようとしている、反抗的である、と考えたりしてしまう場合もある。 上記の例のように、アスペルガーをもつ子供は、言われたことを額面どおり真に受けることが多い。これは「言葉の名称」や「意味する表現方法」を知らない場合に多かったり言われた言葉と同じ言い方で聞き返す癖があることや、抽象的な言われ方では納得の出来ない性格などが原因で、客観的には額面どおりに真に受けていると思われることもあるため判断をするには長期的な付き合いが必要となる。成長の上で問題となるのは、親や教師が励ますつもりで「テストの点数など、さほど大事ではない」などときれいごとばかり言ったり、反対に「テストで点数を取れなければ、何も買いあたえない」など現実的なことばかり言い聞かせたりすること、つまり極端な教育をすることである。結果的に持つべき水準からかけ離れた観念を持って行動してしまう危険性がある。しかし、子供が並大抵の努力では叶いそうもない目標を立てていたと知ったときに、ほとんど肯定する気配もなく協力をしないことも水準からかけ離れた観念を持つ過程となってしまう場合がある。 彼らは、“大人の発言には掛け値がある”という疑いを持ちにくく、持ったとしても、はたして掛け値がどのくらいなのかを慮ることが困難であるため、発言者の願望を載せて物事を大げさに表現すると狙った効果は効き過ぎることになる。 しかし場の状況に応じた正当で過度な言い表し方でない時でも、聞き手にとっては弁解する余地のない時には「それは言いすぎだ」と指摘の様に答えることで否を発言者に置き換える場合がある為、中立を保った見分け方も必要になることがある。職場で『報告・連絡・相談』の必要な状況下で伝言をする際に、「聞いた時の声色、声の質、使用された言語、を丸ごと真似をするだけの実況中継報告はしない」と彼らは批判の声を立て、要点を伝える際に彼らの主観でどう解釈したのか伝える時の言語を僅かながら変えることでも非現実的な伝わり方が多く、妄想が酷いと解釈される場合がある。 120%確実だと約束するなら とっくの大昔に過ぎている事 アスペルガー症候群の人間は、それ以外の人々が心理社会的モラトリアムを経由して獲得できると言われる「自我同一性」の獲得が困難とされる。自分が過去から連綿と続いている存在であるという認識を持つことが出来ず、中庸の考えを持たないため、極端で観念的な思考に走りやすい傾向がある。被害妄想、対人恐怖などを起こすこともあり、統合失調症と誤解されるような病的な精神状態になってしまうこともある。精神に混乱をきたし、自分の世界に引きこもる、その混乱を周囲に対する怒りに置き換える、などの傾向を見せる。 非自閉症の人(NT:neurotypical, 典型的な精神の人)は、他者の仕草や雰囲気から多くの情報を集め、相手の感情や認知の状態を読み取ることができる。この能力が自閉症の人には欠けており、他者の心を読むことが難しい(心の理論の欠如)。そのような、仕草や状況を読み取れない人は他人が微笑むようすを見ることはできても、その微笑みがなにを意味しているかが理解できない。多くの場合、彼らにとって「行間を読む」ことは、困難ないし不可能である。最悪の場合、対人コミュニケーションにおいて、表情を読みとることができない。つまり、人が口に出して言葉で言わなければ意図していることが何かを理解できないのである。しかし、彼らはボディーランゲージなどを通して相手に伝えることは可能である。とはいえ、この種の能力差は、健常者から深刻な障害をかかえるケースにまでわたってスペクトラム(連続体)状に分布している。したがって、アスペルガー症候群に分類されるケースにおいても、表情や他人の意図を読み取ることに不自由のない人もいる。また、彼らはしばしばアイコンタクトが困難である。ほとんどアイコンタクトをせず、それをドギマギするものだと感じる場合が多い。その一方で、他人にとって不快に感じるくらいに、じっとその人の目を見つめてしまうようなタイプもいる。アイコンタクトなどにおいて、相手から発せられるメッセージを理解しようと努力しても、この障害のために相手の心を解読しそこねることが多い。たとえば初対面の人に挨拶をする際に、社会的に受け入れられている通常の手順で自己紹介をするのではなく、自分の関心のある分野について一人で長々と話し続けることもある。 他人に自分の主張を否定されることに強く嫌悪感を覚えるという人もいる。このことは学校などで学習上の大きな障害となる。例えば、教師が生徒にいきなり答えさせ、生徒:「これは○○だと思います」、先生:「違うよね、これは××だよ」というように、否定して答えやヒントを教えるような方法は、アスペルガーの人には相当な苦痛やストレスとなる。しかし、多くの成人は、忍耐力のなさと動機の欠如などを克服し、新しい活動や新しい人に会うことに対する耐性を発達させている。 これらのことは子供時代や、大人になってからも多くの問題をもたらす。アスペルガーの子供はしばしば学校でのいじめの対象になりやすいとの指摘がある。理由として彼ら独特の振るまいや言葉使い、興味対象、身なり、そして彼らの非言語的メッセージを受け取る能力の低さを持っていることがおもな原因とされる。彼らに対し、前述の言動やアスペルガー症候群という病気自体が理解できず、アスペルガー症候群患者に対する嫌悪感を持つ人が多いとされている。このため教育の場である学校において、今後はサポート体制の確立や自立の支援、他の子供への理解を深めさせる、といった総合的な支援策が必要になるという指摘がある。 「アスペルガー症候群」という一つのカテゴリーであっても、人によって障害の度合いは千差万別である。例えば、学校の友達とうまく話せたり、話をうまくまとめられるなど、いたって軽度な場合もある。また、上手く話せず、それでもよい友達に巡り会えたから必死で耐えているというように、自閉度が中度–重度なこともある。この障害はカナータイプの自閉症などと違い、一見「定型発達者」に見えるために、周りからのサポートが遅れがちになったりすることが問題となっている。 また、身近な例として 留守番を頼まれた際に「誰が来ても開けてはいけない」と言われると、文字通り “誰が来ても”(たとえ親が出先から帰って来ても)開けないという問題が生じることがある。
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