特殊潜航艇による攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)
機動部隊とは別に特殊潜航艇の甲標的を搭載した伊号潜水艦5隻は下記の編成で11月18日 - 19日にかけて呉沖倉橋島の亀ヶ首を出撃し、12月7日オアフ島沖、5.3 - 12.6海里まで接近した。特殊潜航艇はハワイ時間午前0時42分(日本時間20時12分)から約30分間隔で順次真珠湾に向かって出撃した。 特別攻撃隊指揮官・佐々木半九大佐 伊22搭載・岩佐艇(岩佐直治大尉、佐々木直吉一等兵曹) 伊16搭載・横山艇(横山正治中尉、上田定二等兵曹) 伊18搭載・古野艇(古野繁実中尉、横山薫範一等兵曹) 伊20搭載・広尾艇(広尾彰少尉、片山義雄二等兵曹)伊24搭載・酒巻艇(酒巻和男少尉、稲垣清二等兵曹) 結果は以下のようになった。1隻が航空機による最初の真珠湾攻撃が始まる前、湾外から米艦船の後について進入しようとしていたところを駆逐艦ウォードに発見され、追跡された後に撃沈された。(これは日本陸軍のマレー攻撃開始約2時間後、海軍航空機による真珠湾攻撃開始の遅くとも45分以上前だったとされる。これが米軍としての最初の太平洋戦争の交戦記録とされる。)別の1隻が湾入り口の対潜水艦防御門が空いていたこともあり湾内に潜入することに成功、駆逐艦モナハンと交戦したものの撃沈された。また別の1隻は航空機攻撃を避けて湾外に脱出してきた軽巡洋艦セントルイスに湾入り口付近で魚雷攻撃を行ったものの失敗、セントルイスから砲撃を受け、さらに周囲の米軍艦艇が加わって爆雷攻撃を受け、撃沈された。さらに別の1隻は出撃前にジャイロコンパスが故障しており、潜水艦長の判断で出撃したものの湾突入前にたびたび座礁・離礁を繰り返し、一時は駆逐艦ヘルムに追われ、これを躱したものの、度重なる座礁の衝撃で魚雷発射装置は故障、最後には回収地点に向かう途中でやはり座礁して船艇を放棄、拿捕された。最後まで行方不明のまま残っていた1隻も1960年に近接したケエヒ・ラグーンで魚雷未発射のまま沈没していたのを発見されている。全て帰還艇なしという結果に終わった。 中村秀樹のように戦果なしと評価するものが日米ともに当初からの通説である。一方で、アメリカにおいて民間の研究家を名乗る者から特殊潜航艇の攻撃により戦艦ウェストバージニアが沈没したとする説、戦艦オクラホマが転覆したとする説等も出されている。この異説に対しては、航空写真のオリジナルを見たことのある者からは写真に潜航艇が写っていると云うがこれは潜航艇ではなく米軍の小型艇である、2つの戦艦に向う2発の魚雷航跡が写っているとするがこの潜航艇は魚雷を立て続けに発射できるものではない、被害は航空機攻撃によるものとする目撃者・証言者ばかりで潜航艇説を裏付ける現場当事者が全くいない、日米別々になされた見解が戦果を挙げられなかったことで一致している等の批判がある他、そもそも1960年に最後まで不明であった潜航艇が発見されたことで全ての艇の最期に至るまでの状態が明らかになっており、潜航艇の戦果説が提唱され出した1990年代頃には既に本来成立しえない説であることがはっきりしていた筈だとされる。即ち、前記の通り、湾内と湾入り口付近で各1隻が魚雷を撃ったものの命中しないまま撃沈され、残り3隻は湾外で魚雷を撃たないまま撃沈乃至自沈あるいは捕獲されたことが疑いの余地がないものとなっている。 日本では、撃沈された4隻(1隻は外部に爆雷攻撃影響の後もあったとされるがハッチが開き乗組員遺体はなかったため、自沈の可能性も高い。)の乗組員8名と、座礁した艇から脱出して水死体が確認された1名を加えた9名が二階級特進し、「九軍神」として顕彰された。座礁した艇から艇長の酒巻和男海軍少尉が脱出して漂流中に捕虜となったが公表されなかった。また、九軍神とされた将兵を顕彰する配慮から、彼らの最期は撃沈ではなく自沈したものであり、航空隊の爆撃で撃沈された戦艦アリゾナは特殊潜航艇による撃沈という発表が大本営から行われた(虚偽報道の代名詞「大本営発表」が行なわれた最初の例)。偽りの戦果発表をしたことについては、潜航艇乗組員たちに次のシドニー湾攻撃への出撃を納得させるため二階級特進させる必要があったからだとする見解がある。また、戦争映画脚本家の須崎勝彌は、海軍の二階級特進の制度が真珠湾攻撃の前日にひっそりと発令され攻撃の翌日に戦果とともにマスコミに公表されたことに着目し、元々生還可能性の低い任務であるため初めから潜航艇の戦死者は二階級特進させる予定であったところ、酒巻が生存していたために対応に苦慮し、発表が遅くなった可能性を指摘している。 なお、現地夜に伊号潜水艦が攻撃成功との暗号電文を受信した、その乗組員がその夜真珠湾の報告で大きな爆発音を聞いたということで、これを潜航艇中、横山艇の戦果があったのではないかとする説も日本にある。ただし、暗号電文については航空部隊の攻撃成功時の暗号文が小通信基地局をいくつか転送されてその頃届いたものがあったのであろうとする説があり、爆発音については米側で来援に来た米軍機を日本軍の再攻撃と誤認して撃墜したものであることが元外交官で歴史研究家でもある法眼晋作の調査により確認されている。
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