シドニー湾攻撃とは? わかりやすく解説

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シドニー湾攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:49 UTC 版)

花房博志」の記事における「シドニー湾攻撃」の解説

1942年昭和17年2月2日横須賀帰港し、丙先遣支隊指揮官佐々木半九大佐)に編入となる。この部隊第六艦隊第八潜水戦隊属し、「甲標的」による第二次攻撃や、通商破壊戦目的として編成された。「甲標的に対しては、真珠湾攻撃戦訓から装備改善訓練強化が行われている。他の潜水艦偵察報告によって攻撃目標決定するまでの間、伊24トラック待機したが、ポートモレスビー攻略戦協力するため出撃珊瑚海海戦中は散開線就いた会敵ていない5月15日帰還するものの僚艦伊28矢島安雄艦長)は撃沈されている。 5月18日花房八巻悌次、松本静(一等兵曹)が乗り込む甲標的」を搭載して出撃したが、ここで災禍見舞われる。「甲標的」で電池爆発発生し八巻負傷松本死亡したのであるこのためトラック引き返し、本来伊28搭載予定であった甲標的」と、乗員伴勝久芦辺守乗艦させて再出撃した。攻撃目標豪州シドニー湾である。5月31日17時40分、シドニー湾北東7浬から伴と芦辺出撃した。伴艇は宿泊艦クッタブル(HMAS Kuttabul)を沈没させ、潜水艦K IXK IX)を損傷させる戦果をあげたが、帰還することはなかった。なお、この攻撃では伊27吉村巌艦長)から出撃した中馬兼四ら計6名が戦死した交通破壊戦 6月3日まで「甲標的」の帰還をまったが、参加3隻、乗員6名は未帰還となり、伊24シドニーでの交通破壊戦に移る。花房魚雷4本の自爆という不運に遭いながらも、輸送船1隻(4812t)を撃沈し、1隻(7748t)を撃破。さらにシドニー対す砲撃行ったクェゼリンへの帰還25日横須賀へは7月12日である。

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シドニー湾攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 00:49 UTC 版)

Battlestations: Pacific」の記事における「シドニー湾攻撃」の解説

甲標的駆ってシドニー湾潜入しオーストラリア海軍給兵艦撃沈する

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シドニー湾攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 06:32 UTC 版)

松尾敬宇」の記事における「シドニー湾攻撃」の解説

1942年昭和17年5月31日、まず第一番に中馬兼四大尉大森猛一曹の「特潜」が発進続いて伴勝久中尉芦辺守一曹の「特潜」が発進した松尾大尉の「特潜」は三番目であった中馬艇は途中で防潜網引っかかって身動きができず、そのまま自爆遂げた。伴艇は輸送船クッタブル(HMAS Kuttabul)を撃沈しK IXK IX)を撃破するも、対空砲砲撃損傷で未帰還となった。 そして、松尾艇は艇前方岸壁ぶつけたことで魚雷発射管故障したため攻撃出来ず、艇を米重巡シカゴへ体当たりさせることで魚雷爆発させよう図ったが、小接触におわり叶わなかった。その後松尾部下の都竹正雄二等兵曹(戦死後海軍兵曹長とともに拳銃自決した

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シドニー湾攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 08:01 UTC 版)

中馬兼四」の記事における「シドニー湾攻撃」の解説

1942年昭和17年5月18日、母潜「伊27」に乗艇を搭載し中馬は艇附の大森猛一等兵曹とともにトラック出撃した。中馬属す東方先遣隊指揮官真珠湾攻撃でも「特潜」部隊指揮した佐々木半九大佐で、佐々木潜水艦搭載機偵察報告から攻撃目標シドニー湾定める。同月31日17時28分、中馬艇は湾口7浬の地点で母潜から出撃した。 当時シドニー港は、磁気探知機防潜網探照燈駆潜艇による防衛体制がとられていたが、中馬艇は入港するフェリー追尾港内への潜入成功した。しかし1945分ごろ、軍港地帯である西港付近スクリュー防潜網からまり行動の自由を失う。甲標的網切断機艇首装備されており、防潜網から離脱することができなかった中馬艇は30分後に監視員発見される監視員報告から哨戒艇爆雷攻撃開始した直後中馬艇は自爆装置によって自爆し中馬大森戦死した防潜網捕らえられてから約3時間が経過した2235分頃であった

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