シドニー湾攻撃
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1942年(昭和17年)2月2日に横須賀へ帰港し、丙先遣支隊(指揮官・佐々木半九大佐)に編入となる。この部隊は第六艦隊第八潜水戦隊に属し、「甲標的」による第二次攻撃や、通商破壊戦を目的として編成された。「甲標的」に対しては、真珠湾攻撃の戦訓から装備の改善、訓練の強化が行われている。他の潜水艦の偵察報告によって攻撃目標が決定するまでの間、伊24はトラックに待機したが、ポートモレスビー攻略戦に協力するため出撃。珊瑚海海戦中は散開線に就いたが会敵していない。5月15日に帰還するものの僚艦伊28(矢島安雄艦長)は撃沈されている。 5月18日、花房は八巻悌次、松本静(一等兵曹)が乗り込む「甲標的」を搭載して出撃したが、ここで災禍に見舞われる。「甲標的」で電池爆発が発生し、八巻は負傷、松本が死亡したのである。このためトラックへ引き返し、本来伊28に搭載予定であった「甲標的」と、乗員伴勝久、芦辺守を乗艦させて再出撃した。攻撃目標は豪州シドニー湾である。5月31日17時40分、シドニー湾の北東7浬から伴と芦辺は出撃した。伴艇は宿泊艦クッタブル(HMAS Kuttabul)を沈没させ、潜水艦K IX(K IX)を損傷させる戦果をあげたが、帰還することはなかった。なお、この攻撃では伊27(吉村巌艦長)から出撃した中馬兼四ら計6名が戦死した。 交通破壊戦 6月3日まで「甲標的」の帰還をまったが、参加3隻、乗員6名は未帰還となり、伊24はシドニーでの交通破壊戦に移る。花房は魚雷4本の自爆という不運に遭いながらも、輸送船1隻(4812t)を撃沈し、1隻(7748t)を撃破。さらにシドニーに対する砲撃を行った。クェゼリンへの帰還は25日、横須賀へは7月12日である。
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シドニー湾攻撃
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「Battlestations: Pacific」の記事における「シドニー湾攻撃」の解説
甲標的を駆ってシドニー湾に潜入しオーストラリア海軍の給兵艦を撃沈する。
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シドニー湾攻撃
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1942年(昭和17年)5月31日、まず第一番に中馬兼四大尉と大森猛一曹の「特潜」が発進、続いて伴勝久中尉と芦辺守一曹の「特潜」が発進した。松尾大尉の「特潜」は三番目であった。中馬艇は途中で防潜網に引っかかって身動きができず、そのまま自爆を遂げた。伴艇は輸送船クッタブル(HMAS Kuttabul)を撃沈し、蘭潜K IX(K IX)を撃破するも、対空砲の砲撃の損傷で未帰還となった。 そして、松尾艇は艇前方を岸壁にぶつけたことで魚雷発射管が故障したため攻撃出来ず、艇を米重巡シカゴへ体当たりさせることで魚雷を爆発させようと図ったが、小接触におわり叶わなかった。その後、松尾は部下の都竹正雄二等兵曹(戦死後海軍兵曹長)とともに拳銃で自決した。
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シドニー湾攻撃
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1942年(昭和17年)5月18日、母潜「伊27」に乗艇を搭載し、中馬は艇附の大森猛一等兵曹とともにトラックを出撃した。中馬の属す東方先遣隊の指揮官は真珠湾攻撃でも「特潜」部隊を指揮した佐々木半九大佐で、佐々木は潜水艦搭載機の偵察報告から攻撃目標をシドニー湾に定める。同月31日17時28分、中馬艇は湾口7浬の地点で母潜から出撃した。 当時のシドニー港は、磁気探知機、防潜網、探照燈、駆潜艇による防衛体制がとられていたが、中馬艇は入港するフェリーを追尾し港内への潜入に成功した。しかし19時45分ごろ、軍港地帯である西港付近でスクリューが防潜網にからまり行動の自由を失う。甲標的の網切断機は艇首に装備されており、防潜網から離脱することができなかった中馬艇は30分後に監視員に発見される。監視員の報告から哨戒艇が爆雷攻撃を開始した直後、中馬艇は自爆装置によって自爆し、中馬、大森は戦死した。防潜網に捕らえられてから約3時間が経過した22時35分頃であった。
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