2児拉致事件
(渡辺秀子さん2児拉致事件 から転送)
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2児拉致事件(2じらちじけん)、渡辺秀子さん2児拉致事件(わたなべひでこさん2じらちじけん)は、北朝鮮による拉致事件[1][2][3]。
1973年(昭和48年)12月に渡辺秀子(失踪当時32歳)の長女高敬美(当時6歳)と長男高剛(当時3歳)が、東京都内のマンションより失踪した[2][3]。警察はこの姉弟の失踪を拉致事件と断定している(姉弟拉致容疑事案)[1][2][3]。渡辺秀子の子供2人は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の意を受けた土台人によって監禁され、その後、北朝鮮に連行されたとみられる[4]。この事件は、朝日放送の石高健次が月刊誌『文藝春秋』において明らかにした[5]。警察は、被疑者の在日韓国人の洪寿恵(のちに日本に帰化して木下陽子)を国際手配している[2][3][6][7]。
概要
東京都品川区西五反田のTOCビル4階にあった貿易会社ユニバース・トレイディングは、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の幹部(第一副議長)だった金炳植によって1971年(昭和46年)に設立され、社員は約30名おり、主として貴金属の輸出の業務にあたっていた[8] 。社員は約30名おり、主として貴金属の輸出の業務にあたっていた[8]。しかし、その実態は北朝鮮工作機関のフロント企業であり、社員のうち10名は北朝鮮の工作員であった[8]。通常の貿易業務をする社員は約20人で、工作員10名は朝鮮高校卒業生や在日本朝鮮留学生同盟(朝鮮学校以外の学校の在日学生で組織した団体)を中心として集められ、「ドミトル」グループとも呼称されていた[9]。日本の公安警察の捜査員によれば、「表向きは貿易業務だったが、目的は在日米軍の情報収集などの秘密工作や資金調達、海外の工作員との連絡だった。貿易会社は金も稼げるし、海外に出張しても自然だ。ちょうど良い偽装だった」という[8]。社員には、よど号グループの妻の親族もいたという[10]。
1972年(昭和47年)、金炳植が本国に召還されて失脚すると、会社を引き継いだのが愛媛県宇和島市出身の在日朝鮮人、高大基であった[8]。高は、朝鮮総連傘下の研究機関「朝鮮問題研究所」の研究員でもあり、さらに朝鮮大学校を卒業した朝鮮総連の専従活動家を構成員とする武闘工作部隊、通称「ふくろう部隊」の訓練隊長でもあった[8][注釈 1]。「ふくろう部隊」は1968年頃、朝鮮労働党幹部の護衛や監視、主体思想の宣伝、対南工作、在日韓国人に対する工作などの任務を遂行するため、北朝鮮中央の方針に従ってつくられた朝鮮労働党統一戦線部の在日工作組織「別働隊」の通称で、朝鮮総連とは直接関連のない組織であった[12]。高は北海道釧路市出身の渡辺秀子と1967年(昭和42年)に結婚し、2児をもうけていた[8]。
高大基が渡辺秀子と知り合ったのは1961年(昭和36年)のことで、当時、秀子は紋別市のスナックバーで働いていた[8]。客として店を訪れた高が秀子に一目惚れして交際が始まり、2人は1967年3月1日に結婚した[6][8][9]。長女の敬美は同年4月10日に生まれ[2]、1970年(昭和45年)6月29日には長男の剛が生まれた[3]。高大基・渡部秀子の自宅は埼玉県上福岡市(現、ふじみ野市)にあった[9]。しかし、2児の父である高大基は1973年(昭和48年)6月、家族には何も告げず、突然、行方をくらましたのである[5][8][9]。本国に召還されたのではないかと考えられており[8]、その目的は平壌市で査問を受ける金炳植を弁明することだったのではないかといわれている[12]>。
失踪理由もわからないまま残された渡辺秀子は、8月にいったん両親のいる帯広市に帰省し、10月には夫の勤め先である五反田のユニバース・トレイディングを訪ねた[8][9]。秀子と2人の子高敬美、高剛はその後消息不明となってしまった[8]。渡部秀子は1973年12月に北海道の両親に「大阪の友人宅にいる」と電話をしたのが最後の連絡である[9]。ユニバース・トレイディングが北朝鮮工作機関のダミー会社であることが発覚するのを恐れて親子3人を監禁したものと思われる[2][5][6]。これを指示したのが、在日韓国人の洪寿恵(ホン・スヘ)で、彼女は高大基失踪後のユニバース・トレイディング社の責任者になったのではないかと考えられている[12]。その後の調べにより、渡辺秀子はユニバーストレイディング社の男子用アジトとして使用されていた目黒区のマンションに、幼い姉弟は母親と引き離されて、工作員の都内の実家を転々とし、最終的に品川区の女性用アジトのマンションで監視されていたことが明らかにされている[9]。1974年(昭和49年)1月から2月にかけて、渡辺秀子を目黒のマンションで目撃した元社員は「渡辺さんは、縛られているような状態ではなかった。子供は一緒にいなかった」と証言している[9]。

大学時代に留学同(日本朝鮮留学生同盟)に加盟していた洪寿恵は、上述の「別働隊」(「ふくろう部隊」)の幹部であり、ユニバース・トレイディング設立当初からの取締役でもあった[12]。洪寿恵は工作員の統括役を務め、2児の拉致を指揮した[13]。洪寿恵は事件後の1977年(昭和52年)、日本に帰化して「木下陽子」を名乗っている[12]。
洪寿恵の指示を受け、2人を北朝鮮に連れて行ったのは、世話役の55歳(当時)の女とみられている[14]。女は、福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸まで幼い姉弟を連れていき、工作船に2人を乗せた[2][3][15]。工作船を待つ間に「お姉ちゃんも飲むからね」と言って自分は酔い止め薬を飲んで安心させた上で、2人には睡眠薬を飲ませていたことが新たにわかっている[14]。女は関係者に対し、「姉(敬美)は目を覚ましたので、手を引いて工作船に乗せたが、弟(剛)は寝ていたので、背中におぶって乗せた」などとも話している[14]。事件が公になった当時、世話役の女は日本で生活しており、女の夫とされる人物が顔にモザイクがかかった状態でマスコミのインタビューを受けていたりもしていた。また、世話役の女以外にも男の協力者が2人いるがこの2人も日本で生活をしていた。当時の国家公安委員会委員長は「拉致事件は現在も継続中の事件であるため時効は成立していない」という見解をしめしていたが、この3人は逮捕も任意での事情聴取もされていない。その後、この3人が出国したという情報が出ていないことから、その後も日本で生活していたと見られる。
この事件の捜査で、小浜市岡津の海岸は、北朝鮮の工作員・土台人グループが頻繁に密入出国を繰り返す工作船の上陸ポイントだったことが警視庁と兵庫県警察の合同捜査本部の調べで分かっている[15]。また、岡津海岸に鎮座する南宮神社は大木に覆われ、周辺道路から見通せない場所にあり、当時は無人・無施錠で普段は人も寄り付かず、数人の宿泊も可能であった[9]。
ユニバース・トレイディングが入居していたビルは、1976年(昭和51年)に失跡した「よど号」メンバーの妻で、北朝鮮による拉致被害者でもある福留貴美子が綜合警備保障勤務時代に派遣され、受付業務をしていた[9]。洪寿恵こと木下陽子は福留を個人的にかわいがっており、福留はユニバース・トレイディング社の宴会に参加したこともあるという[9]。さらに、警察は頻繁に外国との間を往来するユニバース・トレイディング社の元社員の弟を不審に思い、新宿で職務質問し、指紋を照合したところ、元社員の弟ではなく、よど号ハイジャック事件犯人のひとり柴田泰弘であった[9]。柴田は1988年5月に逮捕された。
1981年(昭和56年)5月6日、木下陽子は夫の西村智亮とともに成田国際空港からウィーンに向けて出国した[16]。
渡辺秀子については、2007年(平成19年)4月の新聞ではユニバース・トレイディングの内部で工作員の男に絞め殺されたと報じられている[17][18]。報道によれば、同社の関係者によって「箱に入れ石を詰めて捨てた」「遺棄場所は山形と秋田の県境」などの証言がなされたが遺体発見にはいたっていない[17]。彼女については、こうした証言があることから殺害説が唱えられていることは事実だが、その真相はよく分かっておらず、生存していることも考えられる[6][9]。失踪直後に殺害されたとの報道があったものの、実際は1年後も生きていたことが判明しており、公安当局も、渡辺が「ご主人に会わせるから」と言われて北朝鮮に渡った可能性も十分に考えられるとしている[9]。2007年(平成19年)3月22日、特定失踪者問題調査会は渡辺秀子を「拉致濃厚」の特定失踪者として公表した[9][19]。
日本の警察が母子失踪の実態解明に動いたのは2007年(平成19年)になってからであった[8]。現在、洪寿恵こと木下陽子については、同年4月26日、逮捕状の発付がなされ[7]、これによって国際手配を行うとともに、北朝鮮に対し、警察庁を通じて、身柄の引き渡しを要求している[6]。
事件発覚時の反応
国会の反応
2007年(平成19年)6月5日、西村眞悟衆議院議員は内閣に北朝鮮拉致に関する質問主意書を提出し、そのなかで「渡辺秀子親子殺害拉致事件」について「渡辺秀子親子が殺害され拉致された事件について、ユニバース・トレイディング社の関係者が、三十人ほどの日本人と在日朝鮮人を拉致した旨証言したとの報道があったが、政府は、この報道に関する事実関係についてどこまで捜査して実態を把握しているのか、明らかにされたい」と質問し、政府見解を求めている[20][注釈 2]。また、同年7月3日、河村たかし衆議院議員が公安調査庁について質問し [22]、これに対し、2児拉致事件は朝鮮総連の傘下団体が関与していると認識しているという政府見解が示された [23]。
日本政府の対応
2007年4月27日、外務省は北朝鮮に「拉致は重大な主権侵害」であると抗議するとともに2児の日本への帰国と、拉致を指示したとして国際手配している洪寿恵こと木下陽子の身柄引き渡しを求めた[24][25][7]。申し入れに対しての北朝鮮側から回答はない[25]。 なお、この事件で拉致された2児は、日本国籍を有さない特別永住者であることから、政府認定拉致被害者17名の中には含まれていない[9]。すなわち、1984年(昭和59年)5月に国籍法が改正されるまでは、父系主義に基づいて外国人父と日本人母の間に生まれた子には日本国籍が与えられず、外国籍もしくは無国籍の扱いであった(外国籍の父親が日本に帰化した等、一部例外は除く)ことによる。
国際社会への働きかけ
2008年7月25日にブエノスアイレスで開かれた第85回強制的失踪作業部会政府説明セッションでは、日本政府は本拉致事件を含む北朝鮮による拉致問題の現状についての説明を行っている[26]。また、2007年6月に特定失踪者問題調査会が調査を申請したことをうけて、国連人権理事会の強制的失踪作業部会は、2008年の11月から12月にかけてジュネーヴで開く会議での議題とした[4]。
その後の動向
2021年(令和3年)8月、「拉致問題を神戸から発信する8.22集会参加者一同」「特定失踪者問題調査会」「救う会兵庫」の3者は、この事件に対し、拉致被害者である高敬美・高剛の姉弟が日本国籍を持たないというだけで拉致被害者として政府認定されないのは民族差別にあたるとして、日本政府に対し、「拉致被害者支援法(北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律)」の国籍条項を撤廃し、日本国内で拉致された人、および、国外で拉致された日本人全てを対象とし、拉致被害者の数を現状の「17人」から高敬美と高剛を含めた「19人」として明らかにすることなどを求めた[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b “北朝鮮による拉致容疑事案について「姉弟拉致容疑事案」”. 警察庁. 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g “失踪者リスト「高敬美」”. 特定失踪者問題調査会. 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f “失踪者リスト「高剛」”. 特定失踪者問題調査会. 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b 「産經新聞」2008年8月29日
- ^ a b c 荒木(2005)p.178
- ^ a b c d e “失踪者リスト「渡辺秀子」”. 特定失踪者問題調査会. 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b c “姉弟拉致容疑事案に関する北朝鮮側への申し入れ等について”. 外務省 (2007年4月27日). 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 竹内明 (2017年11月12日). “北朝鮮「武闘工作部隊」日本人妻と子供たちが辿った残酷すぎる運命”. 現代ビジネス. 2025年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 荒木和博 (2021年8月23日). “神戸集会で渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関して決議【調査会NEWS3484】(R3.8.23)”. 特定失踪者問題調査会. 2025年9月20日閲覧。
- ^ ニュース百科「ユニバース・トレイディング」 - Web東奥
- ^ 李英和(1999)pp.23-24
- ^ a b c d e 秘密組織「別働隊」が浮上 統一日報 2007年5月2日
- ^ 『讀賣新聞』 2007年4月27日
- ^ a b c 2児拉致事件 リーダー格の女に逮捕状 日テレNEWS24 2007年4月26日
- ^ a b 2児拉致事件は小浜が上陸ポイント 工作船が頻繁に行き来 中日新聞 2007年4月14日
- ^ 荒木和博 (2019年7月12日). “昭和53年から56年にかけて起きた事件”. 調査会NEWS. 特定失踪者問題調査会. 2022年5月22日閲覧。
- ^ a b 『四国新聞』 2007年4月13日
- ^ 『中日新聞』2007年4月14日
- ^ 北朝鮮による日本人拉致問題について 埼玉県
- ^ “北朝鮮による日本人拉致問題及び全被害者救出に関する質問主意書(提出者:西村眞悟)”. 衆議院/質問本文情報. 2025年9月20日閲覧。
- ^ “衆議院議員西村真悟君提出北朝鮮による日本人拉致問題及び全被害者救出に関する質問に対する答弁書(内閣総理大臣安倍晋三)”. 衆議院/答弁本文情報. 2025年9月20日閲覧。
- ^ “公安調査庁に関する質問主意書(提出者:河村たかし)”. 衆議院/質問本文情報. 2025年9月20日閲覧。
- ^ “衆議院議員河村たかし君提出公安調査庁に関する質問に対する答弁書(内閣総理大臣安倍晋三)”. 衆議院/答弁本文情報. 2025年9月20日閲覧。
- ^ 国際手配被疑者一覧(木下陽子の手配写真あり) 警察庁
- ^ a b 渡辺秀子さんの2児拉致事件、外務省が北朝鮮に抗議 読売新聞 2007年4月27日
- ^ 強制的失踪作業部会における政府説明セッションの開催 外務省 2008年7月26日
参考文献
- 荒木和博『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版、2005年2月。ISBN 4-585-05322-0。
- 李英和『朝鮮総連と収容所共和国』小学館〈小学館文庫〉、1999年9月。 ISBN 4-09-403431-5。
関連項目
外部リンク
- 2児拉致事件のページへのリンク