渡辺秀子2児拉致事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:29 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致事件」の記事における「渡辺秀子2児拉致事件」の解説
詳細は「2児拉致事件」を参照 1973年(昭和48年)12月頃 被害者:高敬美(当時6歳)、高剛(当時3歳) 容疑者:北朝鮮工作員洪寿恵こと木下陽子(国際手配) 1973年12月、北朝鮮工作員高大基の妻で埼玉県上福岡市(現、ふじみ野市)在住の渡辺秀子が、夫が失踪したため夫の勤め先である貿易会社ユニバース・トレイディングを訪ねたが、同社が工作員の活動拠点であることが発覚することを恐れた社員(工作員)たちによって子ども(高敬美、高剛)とともに監禁され、幼い姉弟(朝鮮籍)は1974年(昭和49年)6月に福井県小浜市の岡津海岸より北朝鮮に連行された。渡辺秀子については殺害説もあるが、詳細は不明。拉致を指示したのは同社勤務の工作員木下陽子で、複数の社員(工作員)がかかわった。渡辺秀子については、木下陽子の命令で殺害され、遺体は海に遺棄されたのではないかともいわれる。警察の事情聴取では、ユニバース・トレイディングの関係者が姉弟の母である渡辺を「箱に入れ石を詰めて捨てた」「遺棄場所は山形と秋田の県境」などと証言しており、供述が一定していない。遺体発見には至らず、依然安否不明の状態が続いている。姉弟を拉致した際の世話役として当時55歳だった女とその協力者として2人の男がいたこともわかっており、この3人は現在も日本にいるという。事件が公になった当時の福田一国家公安委員会委員長は「拉致事件は現在も継続中であり時効は成立しない」と述べているが、警察はこの3人を逮捕していない。 主犯格の洪寿恵は在日韓国人の父と日本人の母の間に生まれ、韓国籍だったが、学生時代に朝鮮総連中央の奨学金を得てから思想的に北朝鮮の側に立つようになり、みずから積極的に工作活動に乗り出すようになる。その後、日本に帰化して木下陽子となり、1979年5月に離日した。2007年、日本の警察庁は逮捕状の発付を得て国際手配を行った。
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