渡辺秀央代表時代
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2008年9月24日に召集された第170臨時国会の冒頭に行われた内閣総理大臣指名選挙では、参議院において改革クラブの4人は1回目、決選投票の双方とも自民党総裁、麻生太郎に投票した。一方、衆議院で唯一の所属議員である西村眞悟は麻生でなく平沼赳夫に投票した(1回目で麻生が過半数の票を獲得したことに伴い決選投票は行われず)。 12月16日、首相官邸の麻生太郎内閣総理大臣に、「五項目の要望書」(事業規模23兆円の追加経済対策の成果を確実にあげる・世界的な金融危機突破のために躊躇せず財政出動を行う・拉致問題解決に全力を尽くす・その他)を提出した。 第170回国会にて、12月24日に「クラスター爆弾禁止条約の批准を国会承認しないことに関する請願」を、翌2009年2月25日に「パチンコ店における出玉の換金行為を取り締まり、完全に違法化することに関する請願」・「憲法第九条第二項のみを改正し、自衛権及び自衛隊の存在を明記することに関する請願」を衆議院に提出。また7月には第171回国会に「政府広報テレビの開設を求めることに関する請願」を衆議院に提出した。 第45回衆議院議員総選挙には自公政権の“与党”(閣外協力)として参加しており、「麻生内閣の継続」を明確に訴えた。選挙では西村のみが大阪府第17区から比例近畿ブロックとの重複で立候補したが落選した。西村の落選で現職国会議員が結成メンバー4人に戻り、再び政党要件を喪失した。 9月11日、参議院で自民党と統一会派「自由民主党・改革クラブ」を結成した。 第172特別国会では、自民党が首班指名選挙で麻生総裁の辞任で空席となっていた総裁の代役として若林正俊・自民党両院議員総会長に投票した際に改革クラブも自民党に同調し、若林に投票した。 10月16日、無所属で政治活動を続けていた中村喜四郎が入党し、政党要件を回復。10月19日には、衆議院でも自民党と統一院内会派を組むことで合意した。 12月25日、松下新平が第22回参議院議員通常選挙で自民党公認で出馬する意向を示した。松下が離党すると政党助成金をもらえる政党要件を満たさなくなるところであったが、参議院議員山内俊夫が2010年1月5日に自民党を離党、1月8日に改革クラブに入党したため、政党要件を維持した。その後、松下は1月14日に離党、翌15日に自民党に入党しており、松下と山内は両党間でトレードのような形で移籍したことになる。なお、改革クラブのホームページでは今回の出来事が全く記載されていない。
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