政府が未認定の拉致事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 02:33 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「政府が未認定の拉致事件」の解説
2児拉致事件 1973年(昭和48年)12月頃 埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)在住の渡辺秀子が拉致され、工作員グループによって活動拠点だった朝鮮総連の金炳植第一副議長が設立した東京都品川区の貿易会社ユニバース・トレイディングの内部で工作員の男に絞め殺されるとともに、6歳の長女・敬美と3歳の長男・剛の2人が拉致され、1974年(昭和49年)6月に北朝鮮に連行されたとされる事件。渡辺秀子殺害についての警察の事情聴取では、ユニバース・トレイディングの関係者によって「箱に入れ石を詰めて捨てた」「遺棄場所は山形と秋田の県境」などの証言がなされていたが遺体発見にはいたっていない。また拉致した際の世話役として当時55歳だった女とその協力者として2人の男がいたこともわかっておりこの3人は現在も日本にいる模様。事件が公になった当時の福田一国家公安委員会委員長は「拉致事件は現在も継続中であり時効は成立しない」としていたが、警察はこの3人の逮捕はしておらず事情聴取なども行っていない。 この事件の被害者の国籍が朝鮮籍であったため政府は拉致認定を見送ったが、捜査を行った警察自身が拉致事件であると断定している
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