歴史における「暴力」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
「反デューリング論」の記事における「歴史における「暴力」」の解説
人類史は暴力に満ちている。 これは言うまでもない自明の事実であるが、デューリングは観念論によるアプローチから人類史を考察しようとした。彼は道徳論から暴力を否定する立場を取り続け、政治、経済、社会を道徳的観点から論じようと試みた。また、「本源的には政治的暴力に求めるべきであって、間接的な経済に求めてはならない」、「政治状態は経済状態の決定的原因」とするヘーゲル的な原則を提示し、経済に対する政治の優位性を強調した。さらに、ロビンソンとフライデーという神話上の「ふたりの男」を再三登場させ、ロビンソンがフライデーを剣の力(暴力)によって隷属させ、奴隷制を開始してこれにより人類社会に最初の政治状態(文明)が生じたのだと主張した。 デューリングは、人間社会の基礎として「自然に対する人間の支配」には、「人間による人間の支配」が必要であると論じた。しかし、人類の出発点に位置する原始的共同体にこうした支配力は必要だったのだろうか。 エンゲルスは、デューリングの主張は一足飛びに「大土地所有者による政治的支配」に答えを求めていくが、実際の人間社会の歩みはデューリングの見解とはかなり異なっている。理由は以下の二点である。第一に、土地の大小にかかわらず、「人間による支配」の現れとなった農業が自然力を克服するどころか、未だに天候に左右されるものであって、人間による土地所有は、原初段階から現代に至るまで未だに自然力を克服していないということを指摘している。第二に、大土地所有は原初的な所有形態ではないという点にある。デューリングは、権力の源泉は大土地所有にあると主張したのだが、この主張の根拠は人間社会の原初段階(石器時代)には存在しえない。エンゲルスはデューリングが強調する大土地所有は「自然に対する人間支配」の根拠にならないと一蹴した。原初的な土地所有は、部族的村落的共同体による所有が一般的であって、個人による大土地所有が原初からある地域は地球上どこにもない。 エンゲルスは支配の社会的関係の起源は未開的部族社会から論じられるべきだと主張し、やはり社会の歴史的変遷―社会史にその答えを求めた。 エンゲルスによる暴力・権力の起源は以下のとおりである。新石器時代に人類が小麦を育成して食糧調達を図る新石器革命が発生すると、人類社会は至る所で自然と闘争していく。ただし、人類は個人で自然と格闘したわけでなく部族共同体の力で農耕を開始していくのであって、農耕という共同体利益のために社会には法的秩序が形成されるようになった。やがて部族共同体とその首長に社会的活動とその機能―「訴訟の採決、越権行為の抑制、水利の監視、宗教的機能」が付託され、国家と王権を樹立する基盤となっていく。この後、社会は大きな変化を経験する。 「自己の共同体や、その共同体が所属していた連合体は、自由に使える労働力を供給してはくれなかった。これに反して戦争がそれを供給した。……。これまでは、戦争での捕虜をどうしたらよいか分からなかったから、捕虜はさっさと殺してしまっていた。……。しかし、いま到達した「経済状態」の段階では、彼らはある価値をもつようになった。そこで、彼らは生かしておいて彼らの労働を利用することになった。こうして暴力は経済状態を支配するどころか、反対に無理やり経済状態に奉仕させられた。奴隷制が発明されたのである。」 農業の発達によって次第に社会が富裕化していくと、古くからの土地の共有制が切り崩されて私有制が始まり、個人の土地所有の独立が可能となった。それと同時に戦争捕虜になる奴隷の供給によって土地所有者が一人または二人の労働力を雇い入れる道が開かれ、奴隷制が開始される。土地所有の拡大は戦争と奴隷制を生み出して暴力の使用を拡大させていくが、奴隷制とともに国家の形成を促していく。奴隷制の出現によって社会的分業が確立され芸術や哲学が登場し、それとともに古代ギリシア文明が繁栄を見せ、ついにはローマ帝国が出現するという経過で地中海世界に西洋文明の基礎が築かれた。文明誕生の契機には私的所有権の制度化が存在する。 一方、デューリングは暴力を絶対悪と主張するが、絶対悪の暴力が歴史を変革させる力に転化することも事実であると、エンゲルスは指摘している。 「デューリング氏にっては、暴力は絶対悪である。最初の暴力行為は彼にとって堕罪であり、彼の全叙述は、これまでの全歴史がそのために原罪に感染してしまったことについて、この悪魔の力、つまり暴力によってあらゆる自然的および社会的法則の恥ずべき改悪をこうむったことについての、悲嘆のお説教なのだ。だが、暴力は歴史上でもう一つの別の役割、革命的な役割を演じるということ、マルクスの言葉でいえば、それは新しい社会をはらんでいる、すべての古い社会にとって助産婦であること、それは社会運動が自己を貫徹し、そして硬直し死滅した政治形態を打ち砕くための道具であること―これについてはデューリング氏は一言も語らない。」 ここでは、暴力は歴史の起点ではないが、歴史の転換点をつくりうるということを語っている。 デューリングは、暴力が人類史の初期に登場して社会を根本から歪めて奴隷制度を樹立し、その後の歴史の歩みを悲劇的なものに変えてしまったと主張する一方で、暴力革命による歴史の変革を否定する矛盾した立場を取っていた。実際、アメリカ独立革命やフランス革命といった歴史的事件も暴力革命であったが、デューリングは歴史に事実を求めるのではなく、主観的な道徳心を持ちこもうとしていたのである。こうしたデューリングの道徳主義や観念論に対して、エンゲルスは科学的視点で人類社会を捉えるべきであると論じ、人間の隷属を「直接的な暴力」ではなく、根底に非直接的な支配システム―「私有財産制度」があると指摘した。 エンゲルスは、人類社会を社会たらしめている「制度的な暴力」を経済力、政治力、軍事力に三分して分析していった。
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