歴史における例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:45 UTC 版)
歴史上で一番古いゲイ・アイコンは聖セバスティアヌスとされている。セバスティアヌスはキリスト教の聖人かつ殉教者で、屈強で衣服を纏わない身体、矢で射抜かれた様、苦痛な様などの要素は、異性愛・同性愛を問わず芸術家達の興味を絶えず惹きつけ、特に19世紀のゲイカルチャーで人気を得た存在だった。ジャーナリストのRichard A. Kayeは「現代のゲイ男性がみても聖セバスティアヌスの肖像は同性愛的(はっきり言うなら、同性的なエロティック)なものを感じるし、これはゲイであることを隠さざるを得なかった時代から続くポートレイトの原点だ。」と記している。セバスティアヌスのゲイアイコン的な面を示す例はいくつかあり、劇作家テネシー・ウィリアムズは彼の作品『去年の夏 突然に(英語版)』で苦労を堪え忍ぶキャラクターの名前に「セバスチャン」の名前を使っている。この名前はアイルランドの作家で詩人のオスカー・ワイルドが、服役を終えた後の偽名「セバスチャン・メルモス」(Sebastian Melmoth)の引用元になっている。彼はユーモアとダンディでも知られた人物で、19世紀の終わりには同性愛者を公表していたと考えられ、彼自身も今日ではゲイアイコンと見なされている。 マリー・アントワネットは初期のレズビアン・アイコンで、フランス革命直前に反王室側が流布した文書ではマリーの女性関係の噂が取り上げられ、性的な内容を事細かに書き連ねた噂話を流布された人物である。ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、フランス王国派の伝記作家がこの噂を否定したがランバル公妃マリー・ルイーズへの寵愛が美化されて話題となっており、1858年の記録には「神の導きで貴重で偉大な二人の愛があの世で結ばれた」という記述が残されている。彼女の処刑は悲劇の殉死のイメージが影響したのか、19世紀末にはサッフィズム(女性の同性愛、en)のアイコンと見なされていた。マリーは20世紀のレズビアン文学(en)にも影響を残している。イギリスの詩人ラドクリフ・ホール(英語版)の著書『さびしさの泉(英語版)』や、ゲイの劇作家Jonathan Brockettはマリーとランバル公妃について「言い訳や見せかけに疲れた哀れな魂よ…」と表現している。マリーはゲイアイコンでもあり、フランスの作家ジャン・ジュネは彼女に魅了された一人である。彼は1947年の演劇「女中たち(英語版)」で彼女の処刑シーンを再現している。
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