歴史における婚姻の無効の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 17:20 UTC 版)
「婚姻の無効」の記事における「歴史における婚姻の無効の例」の解説
歴史上でもいくつかの婚姻の無効をめぐる有名なケースが知られている。例えば、15世紀のフランス王ルイ12世は、ルイ11世の娘ジャンヌと結婚していたが、ジャンヌの弟シャルル8世が男系後継者なしで死亡したことで王位に就いた。ルイ12世はブルターニュ公領を望み、シャルル8世の妻であったフランス王妃アンヌ・ド・ブルターニュ(ブルターニュ公領相続人)と結婚するため、ジャンヌとの婚姻の無効を申請している。この許可を得るため、時のローマ教皇アレクサンデル6世に多くの好条件を申し出た(教皇の庶子チェーザレ・ボルジアにヴァランス公位を授け、フランス王族と婚姻させること、さらにローマの守備隊を提供するなど)。このような贈賄により望みどおり婚姻の無効の認定を得ることに成功している。 また イングランド王ヘンリー8世は生涯6度結婚したが、そのうち4度の結婚の婚姻を無効にしている。最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンについては、「兄アーサーの妻であったため、自分との結婚は重婚にあたる」として婚姻の無効を時のローマ教皇クレメンス7世に申請した。しかしキャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の横槍が入ったため認められなかった。怒ったヘンリー8世はローマ教皇と絶縁し、その後イングランド国教会が成立する端緒となった。こうしてローマ教皇庁の干渉を廃し、イングランドの教会を意のままに動かせるようになったことで、ヘンリー8世は教会にしか認められない婚姻の無効の認定を自由に受けられるようになった。以後、アン・ブーリン(後に処刑)、キャサリン・ハワード(後に処刑)、アン・オブ・クレーヴズについてそれぞれ婚姻の無効を理由に離婚し、再婚を繰り返した。
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