チェーザレ・ボルジアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 軍人・軍事関係者 > イタリアの軍人 > チェーザレ・ボルジアの意味・解説 

ボルジア【Cesare Borgia】


チェーザレ・ボルジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 02:19 UTC 版)

ヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジアイタリア語: Cesare Borgia, duca di Valentino 発音: [ˈtʃɛzare ˈbɔrdʒa]スペイン語: César Borgia(セサル・ボルヒア)またはCésar Borja(セサル・ボルハ)、バレンシア語Cèsar Borja1475年9月13日(14日説有) - 1507年3月12日[1])は、アラゴンスペイン)系[2]イタリア人[3][4]枢機卿傭兵隊長(コンドッティエーレ)[5][6]であり、その権力闘争はニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』に大きなインスピレーションを与えた。教皇アレクサンデル6世庶子であり、スペイン・アラゴン系のボルジア家の一員であった[7]


注釈

  1. ^ ただし戸籍上の父親はドメニコ・ダリニャーノという教会官吏である。
  2. ^ フアンが長兄との説もあるが不確定。
  3. ^ ただし同母兄の可能性も否定できない。
  4. ^ ロドリーゴ(アレクサンデル6世)は聖職に就いていたため、対外的にはチェーザレを含めたロドリーゴの子息は全て庶子とされた。
  5. ^ 「ガンディア公爵」は1399年にアラゴンマルティン1世が創設、後のアラゴン王フアン2世らが承継した。1485年にロドリーゴがこの「ガンディア公」の位を金銭との引き換えにより獲得した[9]
  6. ^ 晩年まで非常に好んだ。
  7. ^ ボルジア家と敵対した者による誇張が多分に含まれている可能性も考えられる

出典

  1. ^ Cesare Borgia, detto Il Valentino Studia Rapido
  2. ^ Jon Arrizabalaga; Álvaro Fernández de Córdova; María Toldrá: Cèsar Borja cinc-cents anys després (1507-2007).
  3. ^ Encyclopædia Britannica.
  4. ^ World Book Encyclopedia.
  5. ^ Death of Cesare Borgia | History Today”. www.historytoday.com. 2018年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月9日閲覧。
  6. ^ “The Notorious Cesare Borgia Is Born | History Channel on Foxtel”. History Channel. (2016年6月20日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180612140603/https://www.historychannel.com.au/articles/the-notorious-cesare-borgia-is-born/ 2018年6月9日閲覧。 
  7. ^ Fusero, Clemente.
  8. ^ Machiavelli, The Prince, Chapter VII
  9. ^ カトリック百科事典「Pope Alexander VI」
  10. ^ 澤井繁男 『マキアヴェリ、イタリアを憂う』 P.109。ただし、後世に描かれた肖像画は黒髪であることが多い。
  11. ^ 惣領冬実(作)、原基晶(監修) 『チェーザレ 破壊の創造者』3巻巻末。
  12. ^ 先代のガンディア公爵であったペドロ・ルイスは1488年に死去
  13. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第15章 P.214、ルクレツィアをフアンと奪い合った為との俗説もあるが、現在に至るまで真相は不明。
  14. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第15章 P.214
  15. ^ a b グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第17章 P.249
  16. ^ ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」第6章 道徳性 P.249
  17. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第19章 P.292
  18. ^ ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」第5章 祝祭 P.204
  19. ^ a b グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第20章 P.315
  20. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第6章 P.63
  21. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第6章 P.64
  22. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第9章 P.82
  23. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第11章 P.96
  24. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第23章 P.367
  25. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第23章 P.364
  26. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第11章 P.102
  27. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第23章 P.365
  28. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第23章 P.374
  29. ^ ヴィローリ 『マキャヴェッリの生涯 その微笑の謎』 p.69
  30. ^ a b c マキャヴェッリ 『君主論』 第7章
  31. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第5巻 第11章 P.108
  32. ^ マキャヴェッリ 『セニガリア顛末記』
  33. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第24章 P.379
  34. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第24章 P.384他
  35. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第24章 P.389
  36. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第6巻 第10章 P.218
  37. ^ グイチャルディーニ「イタリア史」第7巻 第4章 P.292
  38. ^ ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』1章「教皇権とその危険」P.189
  39. ^ 田中英道 『レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術と生涯』
  40. ^ ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」第3章 新ラテン語詩 P.412
  41. ^ マキャヴェッリ 『君主論』 第26章
  42. ^ グイチャルディーニ「フィレンツェ史」第21章 P.316
  43. ^ ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 第1章「教皇権とそれのさまざまな危険」(P.140-P.146)
  44. ^ ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 第6章「道徳性」(P.532)


「チェーザレ・ボルジア」の続きの解説一覧

チェーザレ・ボルジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 06:10 UTC 版)

ブラディーM-白い毒薬」の記事における「チェーザレ・ボルジア」の解説

自分怪我治したMを気に入り、彼女をボルジア家滞在させる。

※この「チェーザレ・ボルジア」の解説は、「ブラディーM-白い毒薬」の解説の一部です。
「チェーザレ・ボルジア」を含む「ブラディーM-白い毒薬」の記事については、「ブラディーM-白い毒薬」の概要を参照ください。


チェーザレ・ボルジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 03:34 UTC 版)

花冠のマドンナ」の記事における「チェーザレ・ボルジア」の解説

ローマ教皇アレクサンデル6世息子婚外子教会軍総司令官務める。

※この「チェーザレ・ボルジア」の解説は、「花冠のマドンナ」の解説の一部です。
「チェーザレ・ボルジア」を含む「花冠のマドンナ」の記事については、「花冠のマドンナ」の概要を参照ください。


チェーザレ・ボルジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 09:58 UTC 版)

カンタレラ (漫画)」の記事における「チェーザレ・ボルジア」の解説

主人公本項ではロドリゴ枢機卿が、囲っていた女ナキーネに産ませた子との設定。父は、法王就任願い引き換え生まれてくるチェーザレの命を魔に売り渡したため、出生から魔を身にまとう若くして魔に食い尽くされ運命だったが、死の淵をさまよう中で魔物交合狡猾有能冷酷無比野心家となる。ロドリゴ法王就任後枢機卿となり、父の権力背景権謀術数限りを尽くし権勢拡大イタリア統一野望果たそうとする。

※この「チェーザレ・ボルジア」の解説は、「カンタレラ (漫画)」の解説の一部です。
「チェーザレ・ボルジア」を含む「カンタレラ (漫画)」の記事については、「カンタレラ (漫画)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「チェーザレ・ボルジア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チェーザレ・ボルジア」の関連用語

チェーザレ・ボルジアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チェーザレ・ボルジアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチェーザレ・ボルジア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのブラディーM-白い毒薬 (改訂履歴)、花冠のマドンナ (改訂履歴)、カンタレラ (漫画) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS