ヴァノッツァ・カタネイ
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ヴァノッツァ・カタネイ (イタリア語: Vannozza Catanei, 姓はカッタネイ (Cattanei) とも、1442年7月13日 - 1518年11月24日) は、ルネサンス時代の教皇領の女性。「ヴァノッツァ」は愛称で、本名はジョヴァンナ (Giovanna) と一般に言われているが、ジョヴァンノッツァ (Giovannozza) と記述された文献も残っている[1]。
教皇アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジャ)の愛人で、チェーザレ、フアン、ルクレツィア、ホフレの母である。金髪で骨太の美女だったという。
生涯
彼女の出自や幼少期に関してはほとんど知られていない。マントヴァで誕生し、後にローマへ移って、著名な宿屋を経営していたという。1460年のマントヴァでの教会会議において、当時枢機卿であったロドリーゴ・ボルジャと出会う。2人は恋仲になったが、ロドリーゴが聖職者である立場上、正式な結婚はできなかった。その後、1474年にロドリーゴの指示により、ヴァノッツアは教会官吏のドメニコ・ダレニャーノと名目上の結婚をした。当然、ヴァノッツァとロドリーゴの関係は依然として続いており、1475年にはチェーザレを、1476年(この年かどうかは異説あり)にはフアンを、1480年にはルクレツィアを、1482年にはホフレをそれぞれ生んでいる。また、1480年にはシクストゥス4世の秘書かつ資産家であったジョルジョ・クローチェと再婚している。
ホフレ誕生前後からロドリーゴとは疎遠になったようで、その後は夫との間に娘のオッタヴィアを生んだらしいが、幼くして亡くなったという。1486年にジョルジョが亡くなると彼女はその遺産を受け継ぎ、同年フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿の侍従であったカルロ・カナーレと再婚する。1497年6月14日にヴァノッツァが内輪の宴を開き、チェーザレとフアン、ホフレ夫妻が訪れたが、その直後にフアンは死体となってテヴェレ川に浮かんでいるのが発見された。チェーザレの死後はローマで慈善事業を行ったという。彼女は自分の息子全員に先立たれた後に死去し、フアンの眠る墓所へ埋葬された。
アレクサンデル6世が一番かわいがっていた子はフアンで、ヴァノッツァが一番かわいがっていた子は、チェーザレだったという説がある。
ボルジア家家系図
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イサベル ルガール・イ・トーレ・デ・カナルス女領主 |
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ホフレ |
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アレクサンデル6世 |
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脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ヴァノッツァ・カタネイに関するカテゴリがあります。
ヴァノッツァ・カタネイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 09:58 UTC 版)
「カンタレラ (漫画)」の記事における「ヴァノッツァ・カタネイ」の解説
未亡人で、ロドリゴ枢機卿の妾。ホアンとルクレツィアの母で、チェーザレの育ての親。チェーザレを慈しみ育て、魔の禍々しい力に身を委ねないように教え諭す。醜聞を嫌ったロドリゴ枢機卿によって他の男に嫁がされ、子どもたちと引き離される。
※この「ヴァノッツァ・カタネイ」の解説は、「カンタレラ (漫画)」の解説の一部です。
「ヴァノッツァ・カタネイ」を含む「カンタレラ (漫画)」の記事については、「カンタレラ (漫画)」の概要を参照ください。
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