機械式アナログ計算機
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「アナログ計算機」の記事における「機械式アナログ計算機」の解説
機械式デジタル計算機については機械式計算機を参照。 紀元前3500年頃、影を利用して視太陽時を計測する日時計が古代エジプトで使われていた。オベリスク(方尖塔)もまた、日時計の役割を果たしていた。起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられている。 紀元前16世紀頃のバビロニアや古代エジプトには、水時計が既に存在していたことが知られている。またインドや中国でも古くから存在していた。 記録に残っている歴史上最も古い天球儀は、紀元前255年に古代ギリシアのエラトステネスが作ったものに遡る。 デレク・J・デ・ソーラ・プライス(英語版)によれば、アンティキティラ島の機械は天体運行を計算するために作られた古代ギリシアの機械式太陽系儀である。クランク(現在は失われている)を回転させると、機構が太陽、月やその他の天体の位置を天動説に基づいて計算する。1901年にアンティキティラの沈没船から回収された。紀元前150-100年に製作されたと考えられている。このような複雑さの機械が再び登場するのは、千数百年以上後の時代になってからのことである。 天球儀は中国でも紀元前1世紀から独自に発展してきた。2世紀の天文学者である張衡は、世界で初めて天球儀に動力を導入している。 4-18世紀頃、イスラムとヨーロッパの天文学では、アストロラーベが天体観測用の機器として用いられた。アストロラーベを発明したのはヒッパルコスと言われることが多く、紀元前2世紀から1世紀のこととされる。用途は多岐にわたり、太陽、月、惑星、恒星の位置測定および予測、ある経度と現地時刻の変換、測量、三角測量、天宮図の作成などに使用された。アブー・ライハーン・アル・ビールーニーは1000年ごろ、世界初の歯車式太陰太陽暦アストロラーベを発明している。1235年には、エスファハーンのアビ・バクルが歯車による暦計算機構を備えたアストロラーベを発明した。 計算尺は、基本原理は固定尺と滑尺という2本の直線ないし円周の長さにより加算を行う器具であるが、対数目盛を利用して「加算により乗算を行う」ことができる。対数は1614年にスコットランドのジョン・ネイピアによって発表され、その6年後にイギリスのガンターが対数尺を考案した。ただしガンターのそれは、長さが幾何的に配置されコンパスを利用して2つの目盛の長さを加減するもので、現在の形式の計算尺、つまり複数の尺をずらして計算する形の計算尺は、1632年にウィリアム・オートレッドにより発明された。便宜のため、通常の対数目盛の他、三角関数等の数種の関数値の対数目盛や、理工学・技術の各専門分野で使う関数の目盛が付けられたものもある。 対数を利用するものではないが、図形の幾何的な性質を計算のために利用した計算器具も広義には計算尺と呼ばれることがある。航空機の航法に利用するものをフライトコンピューターといい、横風による偏角や向かい風による実質的な飛行距離の計算(必要な燃料の量に関係するため非常に重要)などを、軽量でコンパクトかつ操縦中でも容易な操作でおこなえるようになっている。 微分解析機は、積分を利用するいわゆる微分方程式の数値解法を、数値計算の代わりに量を利用したアナログ計算による積分でおこなうような機械である。典型的なものは円板を使った「まさつ車」で積分を行う。1876年、ウィリアム・トムソンの兄ジェームズ・トムソンによって発明された。1927年からH・W・ニーマンとヴァネヴァー・ブッシュがマサチューセッツ工科大学で実用版の製作を開始し、1931年に詳細な報告書を出している。日本では同様の機械は3例が知られており、そのうちの1セットが研究者の異動により最終的に東京理科大学に移され、保存されていた。 東京理科大学は後に「近代科学資料館」にて静態でその微分解析機を展示していたが、2013年から2014年にかけ動態とするための復元プロジェクトが進められ、2015年より動態展示を開始した。動態展示と並列して入出力卓の整備やフロントラッシュ機構の復元などが進められたが、2018年度末の同館の閉館により動態展示は中断した。その後、2019年6月に同学の野田キャンパスに設立・開館した「なるほど科学体験館」で、静態のFACOM201などの展示は再開されており、本機の動態展示(不定期ないし定期での1時間程度のデモンストレーション)の再開も検討されているものと思われる。 1936年には、ジョン・ウィルバーが連立方程式求解機を完成させた。ウィルバーのものは9元までの連立方程式の数値解が得られるもので、世界で数台の同種の機械が製作されたとされている。日本で製作されたものが唯一の現存機とされ、国立科学博物館で常設展示されている。2008年度「情報処理技術遺産」認定。(2015年現在、動態ではない) 20世紀前半には目的に応じた専用の計算機が開発されるようになった。ドイツではこのような専用機は「コマンドゲレート(Kommandogerät:指令装置)」と呼ばれ、8.8cm FlaK 37の射撃統制システムやBMW 801のエンジンコントロールユニットに使用されていた。 1947年、物理学者エンリコ・フェルミは中性子に関する研究のためにアナログ計算機FERMIAC(英語版)を開発した。
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