機械式の復権と日本メーカーの凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 04:41 UTC 版)
「腕時計」の記事における「機械式の復権と日本メーカーの凋落」の解説
1980年代に入ると、精度ではクォーツに劣るものの熟練工によって作り上げられる機械式の腕時計の良さが再評価され始め、スイス製の高級機械式腕時計が徐々に人気を取り戻してきた。 クォーツ時計登場以降、欧州では機械式時計のメーカーやムーブメント製造を行う専門メーカーの再編と淘汰が進み、コストカットの観点から部品の製作・加工に自動化設備が導入され、世界的な規模でムーブメントの共有化が進んだ。その結果、スイスのエタがヨーロッパの機械式腕時計業界へのムーブメント供給で大きなシェアを占めるようになった。このため、高級ブランドは大衆ブランドと同型のムーブメントを共用しつつ、ケーシング(精度、仕上、耐久性、デザインなどを決定する最終組立)による差別化に技術とコストを集中できる状況となった。 一方でマニュファクチュールと呼ばれる、一部の特殊なパーツを除きムーブメントの開発・製造から組み立て、仕上げまでを一貫して行えるメーカーも存在する。 時計製造を専門としない無名のアッセンブリーメーカーがアジア製の廉価なクォーツムーブメントをやはり廉価なケースに収めて実売1000円 - 3000円程度の格安価格で流通させる事例は、1980年代以降の日本でも一般化した。この種の無名な廉価時計は中国などで組み立てられるものが多く、また在来の時計商の卸売ルートでなく、時計販売を専門としない雑貨卸売のルートで市場に流通したことから、時計業界では「雑貨時計」と呼ばれた。その種の廉価時計は、当初こそ特にケース回りの製造品質低劣を露呈して不評を買った(分解・修理を配慮しない粗末な設計で、市場に出回り始めた初期には在来の時計店からは電池交換を断られがちであった)が、精度自体はクォーツ方式のため必要な水準に達しており、1990年代までにはケースの設計・組立技術も向上して防水面などでも十分な実用性を備えるに至ったため、世界的に量販価格帯を席巻した。 このようにして手軽かつ高機能なクォーツ時計と、高級な工芸品・嗜好品の機械式時計という位置づけで棲み分けがなされるようになった。 スイス製の機械式腕時計が右肩上がりの成長を始めるのと同時に日本製のクォーツ式腕時計の業績は急激に悪化し、さらにアジア製のクォーツ時計との価格競争に敗れ、大幅にシェアを奪われた。しかも日本メーカーは自らが生み出したクォーツ技術により、1970年代以降世界的に認められていた機械式時計技術を持つ職人をほとんど失っており、苦境に立たされた。
※この「機械式の復権と日本メーカーの凋落」の解説は、「腕時計」の解説の一部です。
「機械式の復権と日本メーカーの凋落」を含む「腕時計」の記事については、「腕時計」の概要を参照ください。
- 機械式の復権と日本メーカーの凋落のページへのリンク