板ガラス原料用珪砂の主要産地となる
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「伊豆珪石鉱山」の記事における「板ガラス原料用珪砂の主要産地となる」の解説
戦時中、板ガラスの原料である珪砂の入手は困難となっていく。フランス領インドシナのカムラン湾産珪砂は、日中戦争後の国際関係の悪化によって輸入が困難となり、1939年6月には事実上輸入禁止措置が取られた。その後の仏印進駐によって、1943年から1944年にかけて海軍用の反射鏡製造の名目で一時輸入が再開されたものの、戦況悪化により1944年には再び輸入出来なくなる。また朝鮮半島からの珪砂もまた、軍事的観点から重要物資とは見なされなかった珪砂は輸送用の船舶の割り当てで後回しとなり、戦況の悪化が深刻となる中で海上輸送自体も困難となり、使用が難しくなっていく。珪砂入手困難に直面した板ガラス製造メーカーの旭硝子(三菱化成工業)と日本板硝子は、国内産の珪砂確保に奔走することになる。しかし国内では板ガラス原料にふさわしい珪砂はなかなか見つからなかった。 終戦後、朝鮮とフランス領インドシナからの珪砂輸入は完全にストップする。板ガラスの原料としてどうしても国産原料を使わざるを得なくなる中で、注目されたのが伊豆珪石鉱山の珪石から製造された伊豆珪砂であった。終戦直後、板ガラス用の珪砂として利用可能な資源は伊豆珪砂以外存在しなかった。 珪砂は鉄分があると板ガラスが青緑色となり、粒度が大きいと溶解が難しくなり、逆に細かすぎると不純物が付着しやすくなるため製品に悪影響を与える。つまり板ガラス用の珪砂は鉄分が低く、粒度が揃って適切な大きさであることが求められる。伊豆珪砂は鉄分の含有量は十分低いものの、粒度の小さな微粉が多いという欠点があった。しかし伊豆珪石鉱山の珪石は多孔質で粉砕が容易で、粉砕方法を工夫した上で貯蔵にも注意を怠らなければ良質な板ガラス原料として利用可能であった。 質量とも板ガラス原料としてふさわしかったため、戦後まもなくの時期、日本における板ガラス原料の珪砂供給はその大半を伊豆珪石鉱山の伊豆珪砂が担うことになった。多くの都市が戦災で大きな被害を受けており、戦後復興に伴う建設需要の中、板ガラスの需要も急増する。商工省は板ガラスを建設資材の中でも重点資材として増産方針を立てる。しかも窓ガラスが割れたままで授業が行なわれていた小学校校舎を見たGHQは、学校校舎用板ガラス製造のため、三菱化成工業に重油の特別配給を実施した。こうして日本の板ガラス産業の戦後復興に伊豆珪砂は重要な役割を果たすことになる。 伊豆珪石鉱山は1947年1月の時点で、約150名から200名の従業員により月産約1500トンの珪石を採掘していた。宇久須の集落から鉱山途中まではトラックが通行可能であったが、鉱山の近くは急こう配のため車の通行は不可能だった。鉱山は露天掘りであり、採掘された鉱石はまずトロッコで集められ、続いて軽便索道で粉砕工場へと運ばれ、粉砕後は宇久須港まで約4キロメートルを索道で運ばれていた。また前述のように宇久須港には珪石積み込みのための50トン前後の船舶が横付け可能な小桟橋が設けられていたものの、沖合いで大型船舶への積み替えが必要で経費が掛かり、また風が強いときには荷役が困難となり珪砂生産にも悪影響を与えていた。 商工省地質調査所は、1947年1月に岩生周一に委託して伊豆珪石鉱山の珪石鉱床について現地調査を実施した。日本における板ガラス原料珪砂の産出量の大半を占める伊豆珪石鉱山の増産が強く求められていたにもかかわらず、鉱床調査が十分に行われていなかったため、調査を実施して増産が可能かどうかを判断することになったのである。伊豆珪石鉱山では月産1万トンの増産目標が立てられていたが、調査の結果、埋蔵量、鉱床の採掘条件等から判断して月産1万トン程度の増産は十分可能であると判断されたが、鉱山や港湾の設備増強は必ず行わなければならない課題であると指摘した。 岩生の調査結果に基づき、まず宇久須港の一部を埋め立て、月産5000トンの珪砂生産能力を持つ新工場を建設し、鉱山設備も刷新して、そして更に珪砂の大量搬出を可能とするための港湾設備を新設することが決定された。産業復興公団の融資により1948年1月、宇久須港約3000坪が埋め立てられ、その後1949年6月には埋立地を含む約5000坪の敷地の新工場が完成した。その他露天掘りの改善、索道の増設等が行われた。一方、港湾設備に関しては1947年10月から1950年3月まで、国庫補助を受けた上で静岡県の県営事業として築港工事が行われ、1950年4月には1000トン級の船舶が停泊できる港湾が完成して、天候に関わらず珪砂の積み込みが可能となった。鉱山設備の刷新と新港湾の完成により、伊豆珪石鉱山の珪砂供給能力は大幅に向上した。 なお伊豆珪石鉱山は旭硝子が着目して、子会社である東海工業が鉱山開発を進めてきたが、1948年末からは日本板硝子でも板ガラスの原料として使用を開始し、1952年5月からは本格的に使用するようになった。日本板硝子の伊豆珪石鉱山産の珪砂使用は、愛知県瀬戸市周辺で産出される瀬戸珪砂の産出が軌道に乗る1955年初頭まで続けられた。
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