本作品の背景とは? わかりやすく解説

本作品の背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 02:38 UTC 版)

海へ (漫画)」の記事における「本作品の背景」の解説

つげ義春は、自身実体験として、思春期2度密航体験持っている1951年14歳と、1952年15歳の時である。 つげ義春は、新潮社発行エッセイ集新版 つげ義春とぼく内のエッセイ「密航」158P~161P)を、「ぼくはいでも、海を眺め潮の香りを嗅ぐと何となく胸がドキドキ騒ぎだすような気がするのは、子供の頃伊豆大島と、千葉県漁村過ごしたせいなのかと思っている・・・」と書き出して14歳15歳の頃海へ憧れと、密航実体験4P亘って述懐している。 つげ義春の父・柘植(つげ)一郎は、腕のいい板前職人であった当時大島の大島町元町で、最も格式ある旅館であった千代旅館勤め職位は「板長総料理長であった千代旅館は、天皇皇族政府要人等が来島する際に宿泊する御用達旅館であり、また、南風』『大島を望む』『伊豆大島風景』等を描いた画家和田三造をはじめ、昭和初期著名な画家達もスケッチ旅行常宿にしていた記録がある(この時代画家の間で「大成したいなら大島描け」という流行があった)。 つげ一家の、伊豆大島の生活は、家族仲睦まじく経済的に安定したのだった父親板前職人として、元気にバリバリ働いた時代であり、大島は、つげ義春にとって唯一家族全員揃い良い思い出の故郷であった。父・一郎は、大島から千葉県大原引越して間もなくアジソン病死去享年42)。最期の父は錯乱状態にあり、転職旅館布団部屋隔離されていた。つげ義春5歳になったばかりの時であった千葉・大原から東京旅館単身赴任した父・一郎は、自分病気悪化に伴い、妻・ます(つげの母)宛に以下の手紙を出していた。「自分病気はもう治りそうにない政治や義春や忠男は元気でいるでしょうか自分もしものことあったら子供たちのことはくれぐれもよろしくお頼み申し上げます」。母が箪笥の奥に大切にしまっていたこの手紙を、偶然見つけこっそり読んだのは、つげ義春1213歳の頃だったと回想している。※出典新版 つげ義春とぼく」内、エッセイ断片的回想記」(148P) 1950年昭和25年)、つげ義春13歳春になって同級生は殆ど中学校へと進学したが、つげは家庭の事情から進学せず、兄の勤め先メッキ工場見習い工として就職残業徹夜仕事多く給料遅配続いた散々な就職先だった。 1951年昭和26年)、つげ義春14歳再婚した母と義父小さな縫製事業起業し、つげはメッキ工場辞めて家業手伝っていたが、自家工場でも、家庭内でも、母と義父の仲が悪かったこのためつげ義春逃避願望持ち同時に伊豆大島大島町)で家族幸せだった頃に戻りたいという望郷の念に取りつかれた大島海へ、の憧憬日増しに強まった時期であった。 海で暮らすには船員になるしかない思い通信教育で、海員養成講座受講し横浜埠頭いわゆるメリケン波止場)へも、外国航路の船を見に足しげく通った14歳ある日、つげは、手っ取り早く密航して船員になろうと決意し、ひとり横浜向かった。運よくタラップ降りており、難なく船内潜り込むことができた。しかし、どこに身を隠そうか、まごまごしているうちに船員に見つかってしまい、船から降ろされ横浜警察署補導される。迎え保護者(母と兄)を待つ間、寝る場所として与えられ部屋留置場だった。濡れた衣服冷たく、穴だらけの毛布1枚ではとても寒くて眠れなかったようだ1952年昭和27年)、つげ義春15歳海へ憧憬断ち難く、つげは密航に再トライ横浜港からニューヨーク行き汽船潜入するが、またもや失敗している。この時、つげは、コッペパンラムネ1日分)だけ持って船尾から垂れ下がったロープをよじのぼって汽船乗り込んだという。船は繋留解き出港し密航成功した喜んだのも束の間出航数時間後に野島沖で船員発見され大騒ぎになった。すでに船は黒潮にのっていたが、急遽観音崎まで引き返すことになる。つげは、観音崎汽船から降ろされ待っていた海上保安庁巡視船横須賀田浦支部連行補導された。 つげが汽船振り返ると、「日啓丸」という船(日産汽船所有)で、板には乗務員ずらりと並び、つげに向かって手を振ったという。その瞬間汽笛大きく鳴らされ、「汽笛脳天打ちのめされるようだった」と、つげは述懐している。1度ならず2度密航失敗したつげは、反り合わない義父からの叱責暴力避けるため、母親配慮でしばらく祖父の家に預けられたという。 本作「海へ」触れてつげ義春は「話しの中で、レインコート作っている男がいるでしょ、この人実話で、母親妙な関係だったんですね。」「だから、家で義父と争い絶えなかったです。この男と義父格闘したりして、部屋中に血がバーッと飛び散ったりして悲惨でしたね。」と回想している。(出典 参考文献あとがき部分解題 高野慎三346参照本作「海へ」は、1987年3月COMICばく」(日本文芸社発行)に発表された。つげ義春漫画の最も後期にあたる時期作品である。つげは作品「やもり」を発表する頃から、作品大場電気鍍金工業所」や「少年「海へ」につながる自伝的な連作意識し始めたという。 つげ義春は、1987年本作「海へ」発表後同年6月9月COMICばく」に作品別離」を発表したが、以降エッセイ旅行記等の文筆活動継続するものの、漫画制作はずっと休止しており今日まで新作発表されていない

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