有史以後
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古墳時代には、イタイゴ古墳・奥の谷古墳群・田中古墳群・嶽山古墳群といった多くの古墳が山麓に築造された。 595年に蘇我馬子が龍泉寺を創建したが、その後一度荒れ果て、823年に訪れた空海(弘法大師)が再び再興したという。 鎌倉時代には楠木正成により楠木七城の一つとして山頂部に嶽山城が築城されており、室町時代には畠山義就と室町幕府軍による激しい戦いが繰り広げられた。→嶽山城の戦い 南北朝時代には当時嶽山の中腹に存在した瀧谷不動明王寺が戦乱で消失し、現在の位置に再建された。 江戸時代に発行された河内名所図会・西国三十三所名所図会では汐ノ宮火山岩・金胎寺山と共に、遠景絵と合わせて記述が確認できる。 昭和10年代には麓に大阪鉄道の出資で作られた汐ノ宮温泉旅館が立ち並んでいたが、戦中は府下学校の臨海学舎として用いられ戦後には全ての旅館が廃業に追い込まれた。 太平洋戦争(大東亜戦争)の末期には、大阪市内を爆撃した後帰還するB-29による、ミカン小屋を標的とした爆撃が行われた。 戦後の高度経済成長期以降にはニュータウン開発が始まり、青山台・不動ヶ丘町が作られた。 1980年代以降、朝日放送テレビで制作されている探偵!ナイトスクープにおいて、城山オレンヂ園が初代パラダイス王として紹介された。
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有史以後
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「二上山 (奈良県・大阪府)」の記事における「有史以後」の解説
古来、雄岳・雌岳の間に日が沈む様子から、神聖な山岳として、人々から崇められてきた。 古墳時代から飛鳥時代にかけて、二上山周辺は、海上の交通の要所、大阪湾・住吉津・難波津から、政治の中心の舞台である飛鳥地方への重要ルートとなり、二上山の南に、日本で最初の官道として知られる竹内街道が作られた。二上山の石切場から切り出された石材が高松塚古墳に使われた。謀反の疑惑をかけられて自害した、大津皇子の墓が雄岳山頂付近にある。ただし、大津皇子の移葬先については複数の説がある。 記紀に見える二上山は大和国と河内国の境にあることから「大坂」「大坂山」とも呼ばれていた。万葉集の和歌などに使われる狭義の大坂は穴虫峠に比定することが一般的である。古代の大坂は崇神天皇に二上山に大坂神・墨坂神を祀るように託宣が降ったという伝承や、住吉仲皇子の反乱伝承など、多くの伝承の舞台となっている。 山麓の大阪府側からは船氏王後墓誌、高屋枚人墓誌および紀吉継墓誌が、奈良県側からは威奈真人大村骨蔵器が発見され、その他にも火葬墓や骨蔵器などが出土しており、同地帯は7〜8世紀には、官人の公葬地として使用されていたと考えられる。 『万葉集』には二上山を詠んだ歌がいくつか収録されている。 雄岳山頂には鎌倉時代後期に楠木正成によって二上山城が築かれた。戦国時代になると、河内畠山氏が居城である高屋城の支城として城を整備している。
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有史以後
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1663年から1664年の噴火1663年12月より普賢岳の北北東の900mに位置する飯洞岩(はんどういわ)から溶岩が流出し、全長1kmにわたって森林を覆った。翌年春には普賢岳南東山腹600mの低地、九十九(つくも)島火口より出水があり、安徳川原へ流れ込み氾濫が起きる。死者30余名。 1792年の噴火1791年11月から地震があった。1792年2月10日、普賢岳山頂の地獄跡火口より噴火が始まった。2月28日、穴迫谷(あなさこだに)の琵琶の首から噴煙、土砂が噴出した。3月1日より溶岩の流出が始まり2カ月近く継続した。3月22日には峰の窪からも噴煙が上がり、溶岩も流出した。3月25日には古焼頭からも噴煙が上がった。普賢岳の北東部に溶岩が流れ出し、全長は2.7kmとなった。また、1792年5月21日(寛政4年4月1日)に雲仙岳眉山で発生した山体崩壊とこれによる津波災害は、島原大変肥後迷惑と呼ばれる、肥前国と肥後国合わせて死者・行方不明者1万5000人という、有史以来日本最大の火山災害となった。その後も噴火は継続し、6・7月になっても時折噴煙を吹き上げた。
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