紀吉継墓誌とは? わかりやすく解説

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紀吉継墓誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 14:43 UTC 版)

紀吉継」の記事における「紀吉継墓誌」の解説

紀吉継墓誌は、縦長25センチメートル横長15センチメートル厚さ約6センチメートル直方体の塼製で、中国墓誌倣って本体と同じ大きさ付けられており、罫と文字生乾きの状態で刻まれその後焼成されたものである江戸時代現在の大阪府南河内郡太子町春日の妙見寺の裏山から出土した伝わり明治42年1909年9月21日古社寺保存法に基づく国宝旧国宝、現在の重要文化財)に指定された。現在も同寺が所有する18例の知られる古代日本墓誌の中では最も新しいものである銘文以下の通り。 維延曆三年歳次甲子癸酉丁酉參議從四位下陸奥國按察使兼守鎮守副將軍勳四等紀氏諱廣純之女𠮷継墓志 文面には、吉継の没年月日思われる延暦三年」「朔癸酉丁酉」(正月二十五日)と、彼女の父である紀広純官位姓名のみが記される。なお、墓誌出土地二上山麓にあり、同じ大阪府側から船氏王後墓誌および高屋墓誌が、奈良県側からは威奈真人大村骨蔵器発見された他にも火葬墓骨蔵器などが出土しており、同地帯は7〜8世紀には、官人公葬地として使用されていたと考えられる。吉継本人について没年月日以外のことは分からないが、光仁天皇桓武天皇仕えた女官であったことが推察される。 吉継の父の広純は征夷従事した貴族であるが、宝亀11年780年3月伊治呰麻呂より道大盾ともども伊治城殺されたことが(宝亀の乱)、『続日本紀』記されている。

※この「紀吉継墓誌」の解説は、「紀吉継」の解説の一部です。
「紀吉継墓誌」を含む「紀吉継」の記事については、「紀吉継」の概要を参照ください。

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