紀南分館の設置とは? わかりやすく解説

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紀南分館の設置(1951-1955)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:23 UTC 版)

和歌山県立情報交流センターBig・U」の記事における「紀南分館の設置(1951-1955)」の解説

和歌山市にある和歌山県立図書館は、1945年昭和20年1月15日和歌山連隊区司令部館舎接収され事実上活動休止したが、和歌山大空襲での館舎焼失免れ同年9月1日司令部から館舎返還される活動再開した県立図書館戦前貸出文庫再開し1950年昭和25年)に和歌山県教育庁社会教育課の宣伝車「ポニー号」を活用して移動文庫開始した移動文庫県内各地方に「ブックセンター」を設け、そこを拠点公民館学校などの読書会101組1か月間貸し出すものであったポニー号は1台しかなかったため、和歌山市から離れた紀南地方での巡回が不十分となった。そこで西牟婁地区視聴覚教育研究会中心となってフィルムライブラリー紀南地方誘致しよう1950年昭和25年秋頃から運動を開始した。 その甲斐あって1951年昭和26年11月1日紀南分館設置条例制定され紀南地方における図書映画紙芝居幻灯などの貸出拠点として、12月8日田辺市上屋敷町田辺市公益質屋倉庫借用して和歌山県立図書館紀南分館開館した分館長は西牟婁教育長兼任し職員1人だけであった紀南分館紀南3地方日高・西牟婁東牟婁)を管轄し田辺市その周辺分館から直接その他の地域本宮勝浦潮岬印南御坊など)はブックセンターから貸出文庫実施した視聴覚資料としては16ミリ映画フィルム100本、幻灯フィルム30本、紙芝居展示資料は各10数組保有し町村など求めに応じて貸し出した。一方映写機地方教育局からの貸し出し基本とし、紀南分館保有分は教育局への補給用としていた。 1954年昭和29年2月時点蔵書数は4,000冊、映画フィルム200本、幻灯フィルム400本あり、分館建坪10坪(≒33.1 m2)、貸出文庫拠点数120か所あった。この頃紀南分館貸出文庫のみで個人への貸し出し行っていなかったが、1953年昭和28年)に和歌山県立図書館本館自動車文庫たちばな号」を導入して個人への貸し出し始めていたので、紀南分館にも自動車文庫導入求める声が上がった。そして1954年昭和29年7月3日紀南分館自動車文庫はまゆう号」が配備され同年7月5日から6コース82か所の巡回開始した当時紀南地方紀北にも増して道幅狭く舗装悪路多かったため、巡回は困難を極めたが、巡回先から熱烈な歓迎を受け、山間部では「開闢かいびゃく以来文化の薫」という言葉で讃えられた。

※この「紀南分館の設置(1951-1955)」の解説は、「和歌山県立情報交流センターBig・U」の解説の一部です。
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