紀南城遺跡とは? わかりやすく解説

(紀南城遺跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/20 20:59 UTC 版)

(えい、拼音: Yǐng)は、春秋戦国時代首都、および首都を指す名称である。

歴史

楚は遷都するたびに都城を郢と名づけており、郢と呼ばれた都は複数存在する。後世では時代や場所ごとに区別するため、郢に接頭辞を加える。

楚の歴代の都城は以下の通りである。なお、現在地名は推測であることを留意されたし。

  1. 丹陽:成王の時代に初代君主熊繹が封じられた地。丹江の北側にあり、楚人の移住に伴って移動したので固定の地名ではない。
  2. 郢:文王(一説には武王)の時代に遷都した。伝統的な見方によれば紀元前690年頃から紀元前278年の計400年以上にわたり楚の都だった。後に南郡が置かれた。現在の湖北省荊州市荊州区に位置する。
  3. 鄀(鄀郢):昭王の時代に遷都した。後に郢に戻った。現在の湖北省襄陽市宜城市南東部に位置する。
  4. 鄢(鄢郢):恵王の時代に遷都した。後に郢に戻った。現在の湖北省襄陽市宜城市南東部に位置する。
  5. 陳(陳郢):頃襄王21年(紀元前278年)に白起に郢を落とされて遷都した。現在の河南省周口市淮陽区に位置する。
  6. 鉅陽(巨陽とも):考烈王10年(紀元前253年)に遷都した。陪都説がある。現在の安徽省阜陽市太和県に位置する。
  7. 寿春(寿郢):考烈王22年(紀元前241年)に遷都した。現在の安徽省淮南市寿県に位置する。

紀南城遺跡

湖北省荊州市荊州区にその跡地が存在し、現在では紀南城遺跡として、全国重点文物保護単位に指定されている。

多くの学説によれば、少なくとも春秋時代後半から紀元前3世紀頃までは、楚はこの都市を郢と呼んで首都としていたとされている。また、春秋左氏伝には、文公14年(前613年)と昭公23年(前519年)にそれぞれ「城郢(郢に城く)」とあることから、少なくともこの頃までには、楚はこの遺跡を首都として城壁の造営工事を行ったとされており、考古学的裏付けもされている。

ただし、この遺跡の一部には、春秋中期のものと見られる遺構もあることから、それ以前から楚がこの地を郢と呼び、首都を置いていた可能性も指摘される。この遺跡は、現在荊州市の行政区画内にあり、その城壁はおしなべて方形で、北3547m、西3751m、東3706m、南4502m、付近の八嶺山や紀山には当時の楚の王族の墓も散見される。

参考文献

関連項目


紀南城遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 14:06 UTC 版)

「郢」の記事における「紀南城遺跡」の解説

多く学説によれば少なくとも春秋時代後半から紀元前3世紀頃までは、はこの都市を郢と呼んで首都としていたとされている。また、春秋左氏伝には、文公14年(前613年)と昭公23年(前519年)にそれぞれ「城郢(郢に城く)」とあることから、少なくともこの頃までには、はこの遺跡首都として城壁造営工事行ったとされており、考古学的裏付けもされている。 ただし、この遺跡一部には、春秋中期のものと見られる遺構もあることから、それ以前からがこの地を郢と呼び首都置いていた可能性指摘される。 この遺跡は、現在荊州市行政区画内にあり、その城壁おしなべて方形で、北3547m、西3751m、東3706m、南4502m、付近の八嶺山や紀山には当時王族の墓も散見される

※この「紀南城遺跡」の解説は、「郢」の解説の一部です。
「紀南城遺跡」を含む「郢」の記事については、「郢」の概要を参照ください。

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